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 今関弘道

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№51~№70

モクサイ通信№51(2003.03)
NO.51  2003.03.23
発行者 今関弘道
第51回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年3月20日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一
4、ふりかえり・おさらい
(1)稲葉黙斎先生冬至文全(講義録)校正
  NO.50以前の号を参照のこと。(2)朱子論語集註(黙斎講義録)
「郊又不致(p14の5行目)~孔子の周流は皆仁なり(p17の9行目」(後藤 宏)を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:
p8の10行目 ○尋:読みと意味
p10の10行目 ○智:読み。
p11の15行目 仕えぬ○○なったとき:読み
P12の15行目 ○十二年:読み
P13の3行目 少正○:読み
P13の4行目 よくみれどなつに花さく垣根かな:読み、芭蕉の句に、よくみればなづな花咲く垣根かな、があるという(後藤)
(以上残された事項)

P14の5行目 郊:郊祀、天子が冬至に天を南郊に祭り、夏至に北郊に祭ること
P14の5行目 牛羊豚の祭りの餘肉なり:読み
P14の6行目 台:読み
P14の6行目 膰:はん、祭りに供えた肉
P14の6行目 爼:そ、生け贄を載せる祭の台
P14の8行目 顔濁雛:がんだくすう、子路の妻の兄
P14の9行目 主とする:客とする
P14の9行目 匡人:きょうひと、国名、現在の河南省長桓県
P14の15行目 落付○○○るは○:保留
P14の19行目 桓たい:宋の司馬(陸軍大臣)
P15の1行目 邪魔:読み
P15の2行目 ○鼠:もぐら
P15の10行目:成ること有り:読み
P15の11行目 枝痒之と云うか:保留
P15の11 憂えてのこと:読み
P15の2行目 佛胖(ひつきつ):晋の大夫范氏の家宰
P15の15行目 堅白:こじつけ、堅白同意
P15の15 畚:もっこ
P15の16行目 磬:けい、吊り下げ、撞木しゆもくで打ち鳴らす楽器。中国、秦・漢時代には「へ」の字形の板石を用いた。
P16の4行目 霊公こたえずしていく:読み
P16の14行目 見蜚(むし、ひ、とぶ)雁色不在:保留
P16の14行目 旁:かたがた
P16の16行目 勘略:考えなしの
P16の21行目 見幾起き:幾を見て起こす
P17の5行目 鉢はらい:蜂はらい
P17の5行目 夏はさし水がして塩ばゆい
P17の7行目 皈與之歎:きよのたん、かえらんか、論語公冶長
P17の8行目 主司城貞子:司城貞子を主とせる
 
よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し懇親
 四人で酒を飲みながら、学ぶということ、集註のあれこれ、輪を広げること。
 そしてイラク戦争。ついに始まった。バグダッドの空は真っ赤に燃え上がっているだろう。500万の人たちが逃げまどう。心が痛む。
 イラクの政権がいいとは思わないけれど、アメリカが仕掛けたこの戦争は、まぎれもなく覇権主義的性格を持っている。一国覇権主義、コイズミの声明、日米同盟の重要性・遵守を繰り返していた。日米同盟があって今の日本がある、必ずしもそうだとは思わないけれど、しかし第二次世界大戦後、アメリカの単独占領こそが、日本国民にとっての不幸の始まりだったのではなかったか。
 子供たちを二度と戦場には送らない、戦後教育の到達点のひとつだった。日本の為政者たちは、何を学んできたのだろう。大義というようなものは何もない。卑屈な言葉、追従、阿(おもね)り。
 第一次大戦の歴史的性格は、植民地分割だった。この戦争を終結させたものは、ロシア革命の進展であっただろう。現在の覇権主義に対峙しているのは、ベトナム戦争以来の内外に於ける、民主主義的要求を掲げた、反戦平和の流れだろうとおもう。春の嵐、おごれるもの久しからずとはいえ、心が騒ぐ。

黙斎に取り組むにあたっての視点のいくつか(5)
 朱子学を異端との関連でみるならば、一方では春秋戦国時代にまでさかのぼる、東洋思想の流れと葛藤、他方では朱子の唱えた理気二元論、王陽明以降の宋学の流れと葛藤にぶつかるだろう。理と気の相互の位置づけが、あらためて問題にされてくる。
 当然にも、仏教の持つ哲理、老荘の持つ哲理と朱子学との関連が浮かび上がってくるだろう。朱子学、すなわち宋学が、いかにして東洋思想の哲理を取り入れていったかということになる。朱子学は東洋思想ないし中国思想の集大成のうちにある。理気二元論が天から降ってきて、朱子の頭の中に住み着いたのではない。
 他方日本に於ける朱子学、上総道学といってもいいと思うのだけれど、さしあたり異端との関連では、これまでみてきたように、次のことがさしあたって問題とされるだろう。一つは、闇斎の到達した垂下神道、その延長線上にある日本の神々、仏教といった宗教との折り合いが問題となる。佐藤直方も鬼神については論を深めているようだけれど、このあたりをよく知るということは、モクサイ学をよりよく知るということでもある。もう一つは、治国平天下という朱子学の槓桿をなすテーゼの位置づけである。荻生徂徠など古文辞学派は、幕府の中枢に入り込み、儒学をして政治のステージで実践することをいとわない。宋学の科挙を制度的テコとしての士大夫階級の、国政参加への自負を想起させる。しかしモクサイ学においては、政治への関与に対して消極的であり、人のためにする学問として、激しく批判する。だとすれば、モクサイ学は朱子学の内部へ向けて展開していく以外に、ゆくべき道はないように思われる。存養というような、いってみれば外の世界との関連を断ち切ったところに、聖人の道を求める、理気の哲学で、どのような位置づけが為されるのだろうか。このことは、気を重視する陽明学のと狭間でもあるように思われる。
 最後に、江戸時代後期にかけて台頭してきた、商人ないし町人への対応が問題となるだろう。手島堵庵は庶民教育に目を向けていた。モクサイは彼の学問を、習合はいけないといって、頭から排除した。武士にもつかず、町人にもつかず、モクサイのよって立つ学問的な基盤、社会的基盤は何処にあったのか。モクサイは上総にきてからは、藤門学派の学説整理、集大成に力を注いだのだけれど、上総道学のフィールドは名主階層をパイプにしながら、中下層農民に連なるところにあった。オオギギンサイとのこともあるけれど、モクサイは自身の学問的位置づけを、どのように考えていたのだろうか、今ひとつはっきりしない。異端を排除して、最後に残ったのがモクサイ学だ、そんな証明方法が幾何にあったように思うけれど、取り組んでみるだけの価値はあると思う。
 ともあれ、上総道学に取り組むにあたっては、述べて作らず式ではなく、自分の頭でいくつかの仮説を作り、学ぶ中でお互いに深めていくことが肝要と考える。最後になったけれど、学ぶということについて、論語の中のいくつかを引いておきたい。
 「古えの学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」(憲問)
 o昔の学んだ人は、自分の修養のためにした。このごろの学ぶ人は、人に知られたいためにする。
 「下学して上達す」(憲問)
 o身近なことを学んで、高遠なことに通じていく。荻生徂徠の解釈は、今のことを学んで、古代のことに通じる。
 「学びて時にこれを習う、亦説(よろこ)ばしからずや」(学而)
 o学んでは適当な時期に皆でおさらいをする。そのたびに理解が深まり向上していく、うれしいことではないか。

白楽天が江州司馬に左降されるを聞く
残灯焔 無く 影憧憧たり
此の夕べ 君が九江に謫せられしを聞く  
垂死の病中  驚いて坐起すれば  
暗風 雨を吹いて寒窓に入る
(元 しん)
o江州司馬………白楽天は広西省九江(江州の別名)の副知事に左遷された
o憧憧………不安定に揺れ動いている
o垂死………今にも死にそうな状態にあること 
o白楽天………「此の句、他人すら尚お聞くべからず、況や僕の心をや。今に至るまで、吟ずる毎になお惻惻たるのみ」(元九に与える書)

宰予(さいよ)、昼寝(い)ぬ。子曰く、朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず。糞土の牆(かき)はねるべからず。予に於いてか何ぞ誅(せめん)。子曰く、始め吾れ人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。今吾れ人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る。予に於いてか是れを改む(公冶長)
o腐った木には彫刻できない、ごみ土の垣根には上塗りできない。……以前は言葉を聞いて行いまで信用した。今は言葉を聞いて行いまでみるようになった。

次回開催日程
1、日時 平成15年4月25日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、黙斎先生冬至文(講義録)
 保留事項(課題)を調べておいて下さい。
4、朱子論語集註(黙斎講義録)
 「孔子以(p17の10行目)~嘆かるるなり(p20の3行目」(斎藤房一)
5、その他必要なこと
6、懇親会


モクサイ通信№52(2003.06)
NO.52  2003.06.25
発行者 今関弘道
第52回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年4月25日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  実川嘉一、土屋幸恵、今関弘道
4、ふりかえり・おさらい

 4月25日の課会は、連絡の不手際というか、判断の誤りで流会となった。JAの金融再編に伴う連夜の残業と、田植えの時期に入ったということで、取りやめにしたこと。加えて、連絡の不備。僕の方で、カイッチャンへの連絡を忘れてしまったというか、ネグってしまったこと。従って、土屋さんにも連絡が行かなかったこと。大きな失態と言うべき。大反省!
 その晩7時過ぎ、カイッチャンから電話、土屋さんと一緒に川和井にきている。びっくり、昼寝のさなかに雷が落ちたようなもの。何はともあれ、駆けつけた。……事情をはなして後、大宴会。そしてミサキに席を移して、カアチャンの愚痴とクニオの言い分を聞きながら、またしても大宴会。翌朝目覚めたら、隣に土屋さん、土間の方にカイッチャン。座布団を枕に畳の上、宴の後。土屋さん宅経由で、カイッチャンに川和井まで送ってもらって、そこからマイカーで佐倉までぽこぽこ。大変迷惑をかけました。課会とは別の意味で、魅惑的な夜ではあったのだけれど。以上、顛末。モクサイ先生には、人欲に首っきり浸っている、性に全く手が届いていない、聖人への道、日暮れて道遠しどころではない、がみがみ言われるね。

論語
子曰く、朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可なり(里仁篇)。
  朝、正しい真実の道が聞けたら、  その晩には死んでもいいね。
子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥じる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らず(里仁篇)。
  道を目指す者で、粗衣粗食を恥じ  るようなものは、ともに語るにた  らない。

次回開催日程
1、日時 平成15年5月23日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、黙斎先生冬至文(講義録)
 保留事項(課題)を調べておいて下さい。
4、朱子論語集註(黙斎講義録)
 「孔子以(p17の10行目)~嘆かるるなり(p20の3行目」(斎藤房一)
5、その他必要なこと
6、懇親会


モクサイ通信№53(2003.06)
NO.53  2003.06.25
発行者 今関弘道
第53回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年5月23日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、田原哲三
  土屋幸恵
4、ふりかえり・おさらい
(1)稲葉黙斎先生冬至文全(講義録)
 このことについては、現在のテキスト(朱子論語集註)が終了した段階で、具体化する(再確認)。
(2)モクサイを語る会、これからの進め方について(別紙)。次回に再び検討することとした。(3)朱子論語集註(黙斎講義録)
「孔子以下(p17の10行目)~嘆かるるなり(p20の3行目」(後藤 宏)
 *房一さんの代わりに後藤さんがレポート。
「然魯終不能(p20の4行目)~見せるのぞ(p23の5行目)」(柏木恒彦)
以上を終了させた。
(4)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:
p8の10行目 ○尋:読みと意味
p10の10行目 ○智:読み。
p11の15行目 仕えぬ○○なったとき:読み
P12の15行目 ○十二年:読み
P13の3行目 少正○:読み
P13の4行目 よくみれどなつに花さく垣根かな:読み、芭蕉の句に、よくみればなづな花咲く垣根かな、があるという(後藤)
P14の15行目 落付○○○るは○:保留
P16の14行目 見蜚(むし、ひ、とぶ)雁色不在:保留
(以上残された事項)
p17の12行目 天下一家 中国一人:「故聖人耐天下為一家 以中国為一人者」(礼記)
p17の16行目 沮溺(そでき):長沮と桀溺。論語微子篇参照。
p17の15行目 葉(しょう)公問う:論語述而篇参照。
p18の17行目 接輿(せつよ)の歌:論語微子篇参照。
p22の1行目 大全:四書大全、四書の注釈書。
p20の4行目 とうど:とうとう。
p20の10行目 杞(き):夏の子孫が封じられた国。
p20の10行目 宋:商(殷)の子孫が封じられた国。
p20の17行目 須原屋:江戸にあった大きな本屋、須原屋モヘイ。
p20の17行目 出雲寺:京都にある天台宗の寺院。
p20の18行目 音楽の自然:論語子罕(しかん)篇、および泰伯篇参照。
p20の20行目 序易彖(たん):周易十翼(孔子が整理した……漢書芸文誌)・彖(上下)、象伝(上下)、繋辞伝(上下)、説卦(せっか)伝、序卦伝、雑卦伝。芸文誌は中国最古の目録。
p21の1行目 我に数年の仮(か)しの語有り:論語述而篇参照。
p22の2行目 我を知ること莫し:論語述而篇参照。
p22の5行目 探幽:狩野探幽(かのうたんゆう)、江戸初期の画家。鍛冶橋狩野の祖。孝信の子。永徳の孫。名は守信。のち探幽斎と号す。幅広い画技を有し、幕府の御用絵師として、一門の繁栄を拓いた。法印に叙せられる。二条城・名古屋城の障壁画など数多くの作品を残す。(1602~1674)
p22の7行目 獲麟(かくりん):孔子が「春秋」を著し、「西狩獲麟」の句を以て筆を絶って死んだことに基づく。麟は麒麟。また絶筆をいう。また物事の終末。誤用されて、孔子の死をいい、更に転じて、臨終、または臨終の辞世の意となった。
p22の8行目 花と花とは美をあらそふ……川岸に藤山吹の咲きつれて 峯の松ひとり春をや送るらん。
p22の4行目 衣のたてはほころびにけり……年を経し糸のみだれのくるしさに。
p23の2行目 隣国の王を弑(しい)し:論語憲問篇参照。
p23の3行目 至誠惻恒:誠を尽くしてあわれむ心は変わらない。
p23の6行目 乗桴浮海:いかだにのって海に乗り出す。来世に旅立つ?

よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し懇親
 田原さん、中央病院では、そんなに心配することはない、と言う見立てらしいのだけれど、ちょっと心配です。今の世の中、無病息災というわけには、なかなか行かないのだけれど、自覚症状として半身に違和感があり、かつ神経を集中できないと言う。だとすれば、とくに集中力ということでは、これまでの田原さんとは異なる。あれこれいえる立場では全然ないのだけれど、モクサイはたびたび韋編三絶(いへんざんぜつ)をいう。田原さんらしく、前に向かって一歩一歩、ねばり強く、あゆんでいくという生き方、頑張って欲しいと思うね。

論語
子曰く、参(しん)よ、吾が道は一(いつ)以てこれを貫く。曾子の曰く、唯(い)。子出(い)ず。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曾子の曰く、夫子の道は忠恕のみ(里仁篇)
  参よ、わが道は一つのことで貫かれ  ている。曾子ははいと言われた。先  生(孔子)が出ていかれると、門人  が尋ねた。どういう意味でしょう   か。曾子は言われた、先生の道は忠  恕のまごころだけです。
*参……曾子の名前。
*忠恕……忠は内なるまごころにそむかぬこと。恕はまごころによる他人へのおもいやり。
子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る(里仁篇)。
  君子は正義に明るく、小人は利益に明るい。

次回開催日程
1、日時 平成15年6月27日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録)
 「十六年壬戌(p23の6行目)~誰もこれになれということ(p26の8行目」(今関弘道)
 「学而第一(p26の9行目)~註がいるものかということ(p30の10行目)」(土屋幸恵)
4、その他必要なこと
5、懇親会


モクサイ通信№54(2003.07)
NO.54  2003.07.10
発行者 今関弘道
第54回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年6月27日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一
  山口先生、片岡茂紀
4、ふりかえり・おさらい
(1)稲葉黙斎先生冬至文全(講義録)
 モクサイを語る会のこれからの進め方については、いわゆるグループ化は同意を得たものとして、次回に案を提示したい。
(2)朱子論語集註(黙斎講義録)
「十六壬戌(p23の6行目)~誰もこれになれということ(p26の8行目」(今関弘道)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:
p8の10行目 ○尋:読みと意味
p10の10行目 ○智:読み。
p11の15行目 仕えぬ○○なったとき:読み
P12の15行目 ○十二年:読み
P13の3行目 少正○:読み
P13の4行目 よくみれどなつに花さく垣根かな:読み、芭蕉の句に、よくみればなづな花咲く垣根かな、があるという(後藤)
P14の15行目 落付○○○るは○:保留
P16の14行目 見蜚(むし、ひ、とぶ)雁色不在:保留

(以上残された事項)
p23の12行目 きせる:帰せる。
p23の14行目 礼卑しいは地なり:読み。
p23の16行目 又云師となり:師は子貢のこと。
p23の20行目 闇い:やかましい。
p24の1行目 何晏:三国魏、清談を好む、詩文をよくする、「論語集解」あり、司馬氏に殺される。
p24の4行目 何晏が説此の外にとることなし:これが一番だの意。
p24の6行目 書紳:留保。
p24の15行目 云わば乗りがつくぞ:いわばのりがつくぞ。調子がでるぞの意。
p25の11行目 此等人指す辞:読み。朱子集註の中にある言葉。。
p25の13行目 一チ仕舞:いちしまい。いちばんしまいに。
p25の4行目 文義:文章の意義、文意(広辞苑)。
p25の19行目 とこしなえ:とこしえに。
p26の1行目 カラテ:ちからで。
p26の7行目 論語を一へん:論語をいっぺん。

論語
子夏が曰く、博(ひろ)く学びて篤く志し、切(せつ)に問いて近く思う。仁其の中(うち)に在り。(子張篇)
子夏が言った。「ひろく学んで志望を固くし、迫った質問をして身近に考えるなら、仁の徳はそこにおのずから生まれるものだ」

o「近思録」という名前は、子張篇の「近思」に由来する。
o朱子は、博学・篤志・切問・近思の四者は、皆な学・問・思・弁の事であり、この四者に従事するならば、心は外に馳せず、心の中に存するところのものは自ら熟する。ゆえに、その中に仁ありといったのだ、このように自ら注釈している。
o近思録……宋の朱熹・呂祖謙の共編。14巻。1176年刊。周濂渓、程明道、程伊川、張横渠らの文章から日常に緊要な章句622条をとり、初学者に分りやすいように14部門に分類した書。朱子学では四書・小学とともに尊重する。

よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し懇親
 山口先生が出てこられた、久しぶり。傘寿を過ぎてなお矍鑠(かくしゃく)、「身体髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也」(孝経開宗明義章)を、地でいっている。
 片岡さんが新たに参加された。十年ぐらいのスパーンで取り組んでいこうとのこと。きっと、いいものを得ることが出来るでしょう。
 土屋さんが、学而篇の読み下しを、カイッチャン→房一さんという形で、レポートを託したのだけれど、僕がつっかえつっかえやったので、そこまで行きませんでした。
 梅雨明けも近く、本格的な夏が来ようとしています。身体に気をつけながら、時間を創りながら、やっていきましょう。

富士山
仙客来り遊ぶ 雲外の巓(いただき)
神竜棲み老ゆ 洞中の淵
雲はがん素(がんそ)の如く 煙(けむり)は柄(つか)の如し
白扇倒(さか)しまに懸かる 東海の天
(石川丈山)
*がん素ー白色の練絹。がんは、糸へんに丸、ワープロソフトには無い漢字。
*石川丈山とは、何処かで聞いたような名前。広辞苑には次のようにある。「江戸初期の漢詩人・書家。六六山人・四明山人・凹凸窩などと号。三河の人。徳川家康に仕え、大坂夏の陣に功をたてた。のち藤原惺窩に学び、晩年は京都に詩仙堂を築いて閑居。著「覆醤集」など。(1583~1672)」

次回開催日程
1、日時 平成15年7月25日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「学而第一(p26の9行目)~註がいるものかということ(p30の10行目)」(土屋幸恵)
「人性皆善(p30の10行目)~補うものなるべし(p26の8行目」(後藤 宏、斎藤房一)
4、その他必要なこと
5、懇親会


モクサイ通信№55(2003.08)
NO.55  2003.08.10
発行者 今関弘道
第55回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年7月25日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一
  土屋幸恵
4、ふりかえり・おさらい
(1)稲葉黙斎先生冬至文全(講義録)
 このことについては、製本(活字本)と電子本(インターネット、ホームページ)の二通りの方法がある。インターネット利用は経費の面と、輪を広げていくという点で利点がある。二通りの方法は、互いを排除するものではない。
(2)モクサイを考える会、これからの進め方について
o今後のテキストとしては、道学標的、排釈録、鬼神集説、好学鞭策録(以上、冬至文を含めて藤門五部作)を予定する。
o今後の進め方としては、テキストに即して、グループ分けをする。それぞれのグループでは、意を通じ合いながら、テキストの内容を深めていく。また、グループ同士の関係についても、同様である。
oさしあたっては、論語集註を中心にやっていく。他のテキストについて、あるグループで準備が出来たときは、並行して課会で取り上げていく。
oテキストに即してのグループ分けは次の通り。
  論語集註(後藤、斎藤、片岡)
  道学標的(柏木、後藤、斎藤、田原)
  排釈録(土屋、実川、今関、片岡)
 なお、鬼神集説と好学鞭策録については、追って決めることとする。
o道学標的と排釈録のテキストは、斎藤房一さんに於いて、次回配布の予定。  
(3)朱子論語集註(黙斎講義録)
「学而第一(p26の9行目)~註がいるものかということ(p30の10行目)」(土屋幸恵)
以上を終了させた。
(4)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:
p8の10行目 ○尋:読みと意味
p10の10行目 ○智:読み。
p11の15行目 仕えぬ○○なったとき:読み
P12の15行目 ○十二年:読み
P13の3行目 少正○:読み
P13の4行目 よくみれどなつに花さく垣根かな:読み、芭蕉の句に、よくみればなづな花咲く垣根かな、があるという(後藤)
P14の15行目 落付○○○るは○:保留
P16の14行目 見蜚(むし、ひ、とぶ)雁色不在:保留
p24の6行目 書紳:保留
(以上留保事項……第54回まで)
p26の11行目 から:これ以降、それから。
p26の12行目 二典:堯典、舜典。
p27の7行目 道入耳:道は耳に入るのぞ。
p27の19行目 ケリョウ:仮令。かいそめ、かるい。
p28の18行目 制札:禁令を箇条書きにし、札にして立てる。
p29の3行目 弓返り:読み。
p30の6行目 高宗:明の初代皇帝。

論語

子曰く、賢なるかな回(かい)や。一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。(雍也篇)
o先生が云われた。えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしと、ひさごのお椀一杯の飲み物で、せまい路地のくらしだ。他人なら、そのつらさに堪えられないだろうが、回はそんな困窮の中でも、自分の楽しみを改めようとはしない。えらいものだね回は。

よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し懇親
 久しぶりの土屋さんのレポート、学而篇第一、迫力があったね。言葉をしっかりと捕らえて、そのことによって文意が浮かび上がってくるからだろうと思う。言葉の一つや二つ不分明でも、全体の文意をざっとつかみ取る、云ってみれば後藤さんのやり方、僕もどちらかと言えばそのタイプ。両々あいまってということだろうけれど……。だとすれば、柏木さんや房一さんはどんなタイプ分けになるのかな。
 山口先生はお休み、暑い夏、丈夫な身体を持っているのだけれど、それだけに気をつけて貰いたいと思う。田原さん、ちょっと心配、このところ不参加、さびしい。カイッチャンは行方不明、驚くには当たらないのだけれど、
 課会終了後、土屋さん、柏木さん、僕の三人、「ミサキ」にいった。土屋さんの「富士山」と「江南の春」を聞きながら酒を飲んで午前様、疲れるけれど、悪い感じではない。
房一さんは運転当番、後藤さんは土曜出勤、朝早いというので帰る。貧乏籤(くじ)をひいたかな。

九月十日
去年の今夜 清涼に侍す
秋思の詩篇 独り断腸
恩賜の御衣(ぎょい) 今此に在り
捧持(ほうじ)して毎日 余香を拝す
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
           (菅原道真)
次回開催日程
1、日時 平成15年8月29日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「人性皆善(p30の10行目)~補うものなるべし(p26の8行目」(後藤 宏、斎藤房一)
4、その他必要なこと
5、懇親会

お盆、フジ、盂蘭盆(うらぼん)、施餓鬼(せがき)、祖先信仰、歴史的習合
 冷夏と云うけれど、アブラゼミがワッセワッセ、暑い日が続く。昨日は集中豪雨、ガランガラン、ピカピカ、ドッカーン。自然の奏でる壮大なシンフォニー、大絵巻とはいえ、五回も電気が止まって、あたふた。お盆が近い……。
 連想ゲームというのがあった。シンボンといえば、僕はフジ。フジとは何か、新盆があった場合、お金を出して、お坊さんにお経を上げて貰うこと。源ちゃんの時は、東西南北に仕切ったボン寺の講堂で、フジを聞いた。坊さんにも手間替えがあって、それぞれのしきりの中で、若い坊さんが汗だくでフジ、すなわちお経を上げていた。あげる方も大変だけれど、こちらも大変。汗を落としながらお経の中にはさまれている施主の名前、つまりは自分の名前をちょっとだけ聞くために、ここに座っているのかなんて一瞬考えたね。
 フジというのは、「諷誦」(ふじゅ)のこと、声をあげてお経を読むこと、あるいは徳をたたえること。そして「諷誦文」(ふじゅもん)とは、故人の追善供養のため、施主がお坊さんに頼んで、お経を上げて貰うこと、広辞苑にはこのように書いてある。いつ頃からフジが制度化したのかは知らないけれど、瞬時名前が呼び上げられるだけで、500円前後がお寺さんに行く。
 さて、お盆、盂蘭盆(うらぼん)とも施餓鬼(せがき)とも呼ばれる。まず、お盆だけれども、一言で云えば、「祖先の霊を祭る行事」ということになるか。いや、お盆の中には仏教以外の古い日本の信仰と、仏教が同居しているので、一言では云えないかも知れない。この間の事情を、概略だけれど、整理しておこう。
(1)仏教が入ってくる前の日本では、先祖ないし祖先の霊魂が正月と旧暦七月に帰って来るという信仰があった。その内、七月の先祖の祭(魂祭)が、仏教の伝えた盂蘭盆(うらぼん)、および施餓鬼(せがき)と習合して、お盆になったらしい。習合とは、相異なる教理などを折衷・調和することである(広辞苑)。お盆とは、在来の魂祭と外来の盂蘭盆、および後から入ってきた施餓鬼の三種混合の産物であるとも云える。
(2)盂蘭盆(うらぼん)には二通りの説がある。一つはサンスクリット(梵語)を原語としての「さかさづり」の意である。お寺さんは、目連上人が餓鬼道に落ちた母親の苦しみを救おうとして、お釈迦様の教えを受け、祭壇を設けて供養したとして、盂蘭盆の起源、ないしは説話をいう。もう一つの説は、盂蘭盆の起源を、イラン系のウルバンという、霊魂の祭祀と収穫祭を持ってくる。どちらとも云えないと云うことらしい。盂蘭盆の原型ははっきりしないのだけれど、仏教の行事として取り入れられていることだけは確かである。
(3)施餓鬼(せがき)とは、もともと飢餓に苦しむ餓鬼のために、飲食を施す仏教行事を云った。餓鬼とは、広辞苑によれば、「悪業の報いとして餓鬼道に落ちた亡者。やせ細って、のどが細く飲食することができないなど、常に飢渇に苦しむという」ように、説明されている。施餓鬼は、盂蘭盆とは直接的なつながりはなかったという。日本に施餓鬼の風習の定着を見たのは、鎌倉時代末期である。現在では、浄土真宗(真宗、門徒宗)以外の仏教宗派では、重要なお盆の行事として位置づけられている。
(4)盂蘭盆および施餓鬼が、故人あるいは個々の家族を越えて、お盆の行事の中に定着したのは、その背景として、餓鬼道を含む仏教の輪廻思想、先祖を祭る者が絶えてしまった、ないしは戦乱の犠牲となった無縁仏の存在、これに対する仏教および在来の祖先信仰からの、アプローチが、いろいろな形であったのだろうと考えられる。
(5)総じて、日本古来の信仰と外来宗教である仏教との関係では、「仏教の教理にはもともと先祖崇拝は含まれていなかったが、仏教の伝来直後の飛鳥時代からすでに父母七世の供養という先祖崇拝の型式が採用された」(世界大百科事典、祖先崇拝、山折哲雄)と云うことである。これが長い時間の中で、フジとか盂蘭盆とか施餓鬼とかいう仏教の行事と、在来の先祖の霊あるいは精霊(しょうりょう)を祭る行事と絡み合って、現在のお盆の形が出来上がったといえる。ついでに云うならば、仏教は民間信仰としての先祖崇拝と習合しつつ、寺檀制度(旦那寺、檀家制度)、墓制度を作り上げ、経済的基盤をも獲得したと云うことである。
 ともあれ、古来の民間信仰と外来の仏教との習合と言っても、長い時が流れている。お盆には、われわれの先祖、ゆかりの人たちが、向こうからやってくる。ごちそうを沢山用意して、胸の内を語り合うのも、意義無いことではないと考える。

ツバメが巣をかけた
ツバメ去り月 また会おう
 ツバメがわが家の軒先に巣をかけた。と言いたいところだけれど、箱二つ重ねの今様(いまよう)建築、二階の換気口の上蓋(いわぶた)の上に巣をかけた。
 玄関脇に干しておいたズックに、鳥の糞が三つ四つ、気をつけてみると砂利の上にも点々と。見上げると、泥の巣の中から、赤い襟巻きをしたツバメの子っこが、こちらをにらんでいた。これは大変、遠来の客に失礼があってはならない。何を為すべきか。ツバメの餌は、飛んでいる虫、益鳥だとは小学校の時習った。米をまいても、スズメやハクセキレイが寄ってくるだけだろうし、つまりはよけいなことをしないで、静かにしているにしくはなしか。
 南から南から飛んで来た来た渡り鳥、こんな歌が思い出される。ツバメがユーラシア大陸の方から日本列島にやってくるのは、春、「燕来る」という言葉がある。子育てを終わって帰るのは、陰暦の八月、「燕去り月」ともいう。気づいたのが八月三日、そして八月六日には巣の中は空っぽ。南へ向けて飛び立った。この三日間、二階のガラス越しに見ていると、数羽のツバメがウエ・シタ、タテ・ヨコ、ナナメ、窓の外一尺ぐらいの所をヒラヒラヒラヒラ、休む暇もない。鳴き声もにぎやかなこと、ピチュクチュ、ペチュクチ、ペチャクチャ!?……。僕ら十分楽しませて貰った。
 かつて、片貝の古い家にもツバメがやってきていたけれど、今では農家でもツバメの巣を見かけることは、ほとんどない。来年またあえるだろう。あとはおまけ、白居易(白楽天)のツバメの歌の抜粋を載せておく。何となく感じが分かる。

燕詩 劉叟(りゅうそう)に示す
梁上(りょうじょう)に双燕あり
翩翩(へんぺん)たり雄と雌と
泥を銜(ふく)む両椽(りょうてん)の間
一巣に四兒(じ)を生ず
四兒日夜に長(ちょう)じ
食を索(もと)めて声孜孜(しし)たり 
青蟲(せいちゅう)捕(とら)え易(やす)からず
黄口(こうこう)飽(あ)くの期無し(以下略)
o劉叟ー劉という姓の老人。
o梁上ーはりのあたり。
o椽ーたるきのこと。
o索食ー食べ物をほしがる。
o孜孜たりー絶えず鳴いているさま。

自然誌ノート超ミクロ宇宙、ビッグバン、世界の始まり、認識の地平
 超ミクロ宇宙、ビッグバン。僕らのような一般人間には、よく理解がつかない。150億年前(120億年前、100億年前と言ってもいいらしい。つまりははっきりしていない)、超ミクロ宇宙の出現が、われわれの世界の始まりだ。超ミクロというのだから、きわめて小さな宇宙と言うことなのだけれど、これが芥子(けし)つぶなんてものじゃない。1センチを10の34乗という数で割り返したぐらいの大きさ。この大きさは、日常的には経験できないものだ。陽子とか中性子とかいう素粒子レベルの自然の階層を、思い浮かべたらいいのか。素粒子の大きさといっても、実はよくイメージできないのだけれど。
 とにかく、われわれの世界は、超ミクロ宇宙の出現をもって始まった。そして、この小さな宇宙は、出現と同時に大爆発を起こして、膨張を続けた。この大爆発がビッグバン、ロシアのガモフによって提唱された宇宙論でもある。
 宇宙の起源が150億年前として、それ以前はあったかという問いに対する答は、それ以前はない、それ以前の時間はないということらしい。われわれの持っている時間という概念(世界を理解する言葉)は、超ミクロ宇宙と分かち難く結びついている。だから時間という概念には、超ミクロ宇宙の前はという問いは、意味をなさない。このことは、空間、物質という概念についてもあてはまる。この宇宙の成り立ちを離れての空間、物質という概念は意味をなさないということなのだろう。言えることは、運動する世界において、時間、空間、物質というものは一体化しているということである。われわれの世界に対する認識の地平は、すなわち時間、空間、物質の地平でもあるのだろう。広辞苑で地平という言葉をひくと、「物事を考察していく際の視界。範囲」とある。
 これ以上のややこしいことは止めて、というよりこのあたりの論議は専門家に任せよう。一般人間としては、物質(時間、空間も含む)とは何かと言うことについて、次の命題を確認できればいいと思うね。「物質の概念とは、認識論的には、人間の意思から独立して存在し、かつ人間の意識によって模写される、客観的実在以外の何ものも意味しない」(唯物論と経験批判論)。認識論とは何かについては、備前焼などで酒を飲みながら、論議する用意はあるね。
 もう一つ、われわれの宇宙が、あるいは世界が、芥子(けし)つぶよりも、ずっとずっと小さいミクロ宇宙を起源としていることとかかわって、佐藤文隆の見解がある。「素粒子が無数にあるように宇宙も無数にあるのだという考え方は魅力的である。…マクロにもミクロにも無限に多様な自然があるという考え方が妥当である。それが謙虚な態度だと思う」(ビッグバン)。このような考え方は、自然に対する認識の地平からはみ出しそうな感じもするけれど、とても面白いと思う。

「無極ながらにして太極なり。太極動いて陽を生ず。動極まって静なり。静にして陰を生ず。静極まって復た動なり。一たびは動一たびは静、互いにその根となり、陰に分かれ陽に分かれて、両偽立つ」(近思録、道体篇)。
 暇があったら自然誌ノート、目を通してみてください。超ミクロ宇宙、ビッグバンも分かりづらいけれど、わが無極、太極の世界も分かりづらい。一脈通じるような気もするけれど?!


モクサイ通信№56(2003.09)
NO.56  2003.09.19
発行者 今関弘道
第56回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年8月29日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一
  土屋幸恵、片岡茂紀
4、ふりかえり・おさらい
(1)房一さんより、道学標的講義(130ページ)、排釈録講義(85ページ)、好学鞭策録(32ページ)が配布された。残されているのは鬼神集説講義のみ。うち、道学標的と排釈録が次のテキストとなる。
 なお、佐藤直方の同名原本については、直方全集よりコピーして、今後配布されることとなる。
(2)朱子論語集註(黙斎講義録)
「人性皆善(p30の10行目)~精微なことぞ(p35の20行目)」(後藤 宏、斎藤房一)
以上を終了させた。
(4)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
p8の10行目 凡尋:はんじん、およそたずねる。または、尤尋:ゆうじん、はたまたたずねる。
p10の10行目 姦智:奸智と同意。
p11の15行目 仕えぬ○○:原本二字不明。
P12の15行目 服する○○○○:原本四字不明。
        ○十二年:読み。
P13の3行目 少正卯:しょうせいぼう。
P14の15行目 落付○○○○○○:原本六字不明。
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p24の6行目 書紳:紳に書す(論語衛霊公篇)。備忘のために、紳に書き付けておく。転じて、よくおぼえていて忘れず、常にかんがみる(広辞苑)。紳は、「古く中国で礼服着用の際に腰で結び、その余りを垂らして飾りとした幅の広い帯」(広辞苑)。
(以上留保事項……第55回まで)
p30の14行目 河本仲遷:保留。
p30の17行目 引負:ひきおい、負債。
p31の4行目 効:ならい、ならう。
p31の7行目 形り:なり。
p31の10行目 弓返り:ゆがえり。
p31の12行目 寺沢:保留。
p31の13行目 臍落がする:ほぞおち、すっきりする。
p31の15行目 馬士:うまかた。
p32の9行目 串蚫:かんびょう、ほしあわび。
p33の10行目 春秋は礼楽冬夏は詩書:出典。
p35の1行目 物と一枚ぞ:その行いが道理に合っている。
p31の12行目 罌子粒:けしつぶ。

論語
子、子夏に謂いて曰く、女(なんじ)君子の儒(じゅ)と為れ。小人の儒と為る無かれ。(雍也篇)
oお前は、君子としての学者になりなさい。小人の学者にはならないように。
子の曰く、民の義で務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、これ知というべし。(雍也篇)
o人としての正しい道にはげみ、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが知というものだ。

懇親過ぎたるはなお及ばざるが如し
 柏木さん、やったね!
 近思録講義の解題、近思録は宋学の論語、下学上達の基礎文献。山口先生も、きっと喜んでくれるだろうね。
 現代の知的要求の一つは、明治維新から百年経過して、在来の日本文化あるいは東洋文化と西欧のそれとの、折り合いをいかにしてつけるかにある。近思録講義は、朱子学であるとともに、上総道学そのものでもあるだろう。稲葉黙斎が、すぐれた学者であればなおさらに、朱子学ないし道学を通して、時代の要請に応えようとするものに取っての、福音になるだろう。柏木さんの仕事は、僕らの考える会にとって、誇りうることだ。解題の意義については、だんだんと、時を追うにしたがって、明らかになってくるだろう。

桂林荘雑詠 諸生に示す

道(いう)ことを休(や)めよ  他郷苦辛(くしん)多しと
同袍(どうほう)友有り  自(おのず)から相親しむ
柴扉(さいひ)暁に出ずれば 霜、雪の如し
君は川流(せんりゅう)に汲め  我は薪を拾わん
(広瀬 建 遠思樓詩鈔)
o桂林荘:広瀬建が開いた塾の名前。豊後(大分県)日田にあった。
o同袍:同じ綿入れを貸しあって着る。親友の意。
o柴扉:しばのとびら。しばの折戸。
o広瀬 建:豊後の儒者。号は淡窓。安政三年(1856)没、年七十五。

次回開催日程
1、日時 平成15年9月26日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「君子は盛徳(p36の1行目)~補うものなるべし(p38の15行目」(後藤 宏、斎藤房一)
「有る日(p38の15行目)~仁ののびたなり(p42の12行目」(柏木恒彦)
4、その他必要なこと
5、懇親会
天高く馬肥ゆる秋です、酒を飲むのもいい、本を読むのもいい、秋の日のビオロンでもいい。
灯火親しむべし
[韓愈、符読書城南詩「灯火稍可親」]秋になると涼しくなり夜も長くなって、灯火の下で読書するのに適している。……符読書城南とは何処かでお目にかかったような。
「井上蘭臺戸を閉じて書を読む。客有りて至れば、則ち自ら答うるに不在を以てす。客以て、戯れと為す。声を励まして曰く、『主人自ら答うること此(かく)の如し。何の偽(いつわ)り之れ有らんと』。書を読みて輟(や)めず」(井上蘭臺、逸話、先哲叢談)
o井上蘭臺……江戸の人。林鳳岡の門人、備前候に仕えた。宝暦十一年(1761)没、五十七歳。
o先哲叢談……八巻。原善の撰。江戸時代の儒者七十二人の伝記、逸事をおさめている。
o原善……江戸の儒者。号は年斎。山本北山に学び、史伝に通じ、幕府の儒官となった。先哲叢談の著がある。文化三年(1806)没。四十七歳。
除日に講起す
歳暮に、管得庵、羅山に謂いて曰く、「余未だ通鑑綱目(つがんこうもく)を読まず。請う先生明春を以て余の為に之を講ぜよと。」、羅山曰く、「子の心誠に之を求めば、何ぞ来年を待たんと。」即ち、除日を以て講起す。(先哲叢談)。
o除日……大晦日。一年の最後の日。
o講起……講義をはじめる。
o林羅山……江戸初期の幕府の儒官。名は忠・信勝。僧号、道春。京都の人。藤原惺窩(せいか)に朱子学を学び、家康以後4代の侍講となる。また、上野忍ヶ岡に学問所および先聖殿を建て、昌平黌(しようへいこう)の起源をなした。多くの漢籍に訓点(道春点)を加えて刊行。著「本朝神社考」など。(1583~1657)

自然誌ノート原子の誕生、星々・銀河の誕生、原始太陽の誕生、有限と無限の概念
 150~100億年前に超ミクロ宇宙が誕生し、一瞬のうちに大爆発、すなわちビッグバン。ミクロ宇宙は急膨張し、現在に至っている。
 ビッグバン直後の宇宙は、超高温高密度状態、火の玉宇宙と呼ばれ、この宇宙の温度が一兆度以下に下がる中で、陽子と中性子が生まれたという。0.01秒後には、電子、陽電子、フォトン(光子)、ニュートリノ、反ニュートリノ、陽子、中性子が熱平衡に達した。熱平衡とは、フォトン(光子)と、いわゆる素粒子が頻繁に衝突、反応しあっている状態であるという。0.1秒後、ニュートリノが熱平衡から外れ、自由粒子として宇宙空間に広がる。3分後、宇宙の温度は100億度以下になり、水素、ヘリウムなどの原子核が出来た。30分後、陽子、ヘリウム、電子とフォトン(光子)が熱平衡、宇宙空間を光は通ることが出来ない。そして、10万年後、宇宙の温度と密度は十分に下がり、中性の水素原子が形成された。その他のいろいろな原子もできた。さらに、30~10万年後、中性原子はフォトン(光子)とほとんど相互作用(反応)しないということで、光と他の原子の相互作用が無くなり、宇宙は晴れ上がった。
 そして、そして、100~90億年前、星々・銀河が誕生した。50億年後、原始太陽の誕生、物質の中の高密度部分が、自らの重力で収縮、原始太陽系星雲となり、太陽系が誕生したと云うことになる。
 さて、このように書き付けてきたけれども、書いてる本人が分かっているわけではない、少しも分かってはいない。素粒子学者、天文学者の領域に踏み込む知識もないし、勇気も持ち合わせていない。仕方がないので、ここでの一応の締めとして、いくつかの留意点、というより感想を記しておくことにする。
(1)ビッグバン直後の温度が1兆度、3分後には100億度に下がったといっても、このような世界はとても理解できない。僕らの身近に感じる世界は、日中の最高温度が36度、これはたまらん、熱射病になる。体温計、37.2度、どうも身体がだるい。氷は0度を越すと水になり、水は100度を越すと沸騰する、こんなものである。頑張っても、数百度~数千度がいいところだろう。このような環境ないし世界の階層から、一兆度、100億度という物質世界を認めるには、それ相当の決断を要する。同じようなことは、0.1秒後の宇宙空間についても云える、とてもイメージできない。かといって、イメージできない対象は、物質世界の運動として認めることは出来ない、と言うほどの頑固さも持ち合わせていない。
(2)超ミクロ宇宙と現在の宇宙、素粒子と星々・銀河。先にも見たけれど、超ミクロ宇宙は芥子(けし)粒というようなものをはるかに越えていた。素粒子についても、同様である。ひるがえって、澄んだ夜空を見上げてみよう。オリオン、カシオペイア、銀河をわたる大白鳥。無窮を指さす北斗の針、めぐる星座。「われわれは自然の階層の階梯の上も下も知らずに中途に先ず足場を築いたのである」(ビッグバン、前出)との言葉を思い出す。
(3)僕らは、運動する世界を把握するに、有限と無限という概念(ことば)を持っている。諸子百家の云う名実論ではないけれど、概念の中身は、運動する世界の反映として求められるのだろう。だとすれば、有限と無限という概念は、歴史的なものであり、人類史が600万年前後として、その中で概念自体が豊かなものになってきたのだろうと思う。学校の時、数学で無限小、無限大、極小、極大と言うような言葉を、あるいは実数、虚数と言うような言葉を聞いたけれど、数学の体系自体も運動する世界の反映として理解することが妥当であると思われる。有限と無限という概念は、世界を理解しようと知る場合、もっとも基本的な概念のように思う。

小学
悪、小なるを以て之を為すこと勿れ。善、小なるを以て之を為さざること勿れ(小学)
士は当(まさ)に天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむべし(小学)
o小学……六巻。朱子の門人劉子澄(りゅうしちょう)が、朱子の指示を受けて書いた書。内外の二篇に分かれ、内篇は、立教、明倫、敬身、稽古の四つに、外篇は嘉言、善行の二つに分かれる。

漢詩
絶句
江碧にして鳥逾いよ白く 山青くして花然えんと欲す 今春 看すみす又過ぐ 何れの日にか 是れ帰年ならん
(杜甫)
o盛唐詩

静夜思
牀前 月光を看る 疑うらくは是れ地上の霜かと 頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を思う
(李白)
o盛唐詩

竹里館
独り幽篁の裏に坐し 弾琴 復た長嘯す 深林 人知らず 明月 来たりて相照らす
(王維)
o盛唐詩
o竹里館………竹薮の中にある小さな離れ座敷 o幽篁………奥深い竹薮 o長嘯………息長く口笛を吹くこと

モクサイ通信№57(2003.10)
NO.57  2003.10.12
発行者 今関弘道
第57回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年9月26日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一  
4、ふりかえり・おさらい
(1)房一さんに、佐藤直方全集(一冊分)を渡す。
(2)朱子論語集註(黙斎講義録)
「君子は盛徳(p36の1行目)~補うものなるべし(p38の15行目)」(斎藤房一)
「有子曰(p38の15行目)~仁と云うことになれば爰なり(p42の15行目)」(柏木恒彦)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
p8の10行目 凡尋:はんじん、およそたずねる。または、尤尋:ゆうじん、はたまたたずねる。保留。
P12の15行目 服する○○○○:そうなり
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p33の10行目 春秋は~:出典、礼記、周禮をインターネットで検索のこと。
p42の14行目 剛中云:保留
(以上保留事項……56回まで)
p39の7行目 長田:源義朝は尾張で、長田の謀反により殺された。
p42の1行目 麁略:そりゃく。
p42の13行目 おもかげのかわらでとくのつもれり。

廬山の瀑布を望む
日は香爐を照らして紫烟を生ず
遙かに看る瀑布の長川を挂(か)くるを
飛流直下三千尺
疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと
            (李白)
o盛唐詩
o廬山……山の名 
o香爐……廬山の北峰の名
o九天……天のこと。九重の天

論語
子曰く、君子、博く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦た以て畦(そむ)かざるべきか(雍也篇)
o君子はひろく書物を読んで、これを礼の実践でひきしめたなら、道にそむかないでいることができる。……博文約礼。
子貢曰く、如(も)し能く博く民に施して能く衆を済(すく)わば、如何。仁と謂うべきか。子曰く、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸(こ)れを病めり。
o子貢がたずねて、もし人民にひろく施しが出来て多くの人が救えるというなら、仁といえましょうか。孔子が答えて、どうして仁どころのことだろう。強いていえば聖だね。堯舜でさえ、なおそれを悩みとされた。……孔子は堯舜を古の聖天子として認めていた。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
中国の古代ユートピア論、礼記など古書にみられる。いわゆる六経の最良の部分、少し前から、原始共同体へとつづく遠い記憶を淵源とするのでは、と思うようになった。孔子や老子の珠玉のような言葉も、あるいは思考も、そうであるが故に現在に伝えられ、われわれの胸を打つのではないかと。

塗炭の苦しみ
「先帝、賊庭に晏駕し、京師は鞠して戎の穴となる。神州は蕭条として、生霊は塗炭なり」(晋書)
「有夏、昏徳にして、民、塗炭となる」(書経)
「百姓流亡し、塗炭頻(しきり)なり」(潘岳)
 泥水や炭火の中に陥れられたような、大変な苦しみ
泥にまみれ火に焼かれるような極めて苦痛な境遇。

次回開催日程
1、日時 平成15年10月24日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「仁を為すは(p42の16行目)~朱子につめられる(p46の7行目」(今関弘道)
「曾子日(p46の8行目)~里ぞ(p48の2行目」(後藤 宏)
「子曰く千乗の(p48の3行目)~時を以てせねばならぬ(p52の4行目」(斎藤房一)
4、その他必要なこと
5、懇親会

自然誌ノート46億年前、輝きだした太陽
地球の誕生、太陽系第三惑星
自然の階層と運動形態
 芥子粒、罌子粒、罌粟粒、みんな「けしつぶ」と読む。けしつぶよりも、ずっとずっと小さい超ミクロ宇宙、火の玉宇宙。密度は無限に高かったなどいわれると、無限とは何かと言いたくなる。
 10万年後には、いろいろな原子が出来た。それからおおきくとんで、140億年~90億年前、古い星々や銀河の誕生をみた。みんな気の遠くなるような話ばかりで、よくは理解できない。ここでは、誰かがいったように、運動する自然には、さまざまな階層があるということに留意しておこう。そして、それぞれの階層には、それぞれの運動形態があって、物質の運動がある階層から他の階層に飛び移るときには、運動形態も変わるというような事かな。量から質への転換とか、飛躍とか言う言葉もある。
 50億年前、「銀河系」(太陽系を含む銀河)のなかで、超新星といったようなものが爆発し、衝撃波がまわりのガス(星間物質)を圧迫、密度にむら(ゆらぎ)が発生。ガスは収縮をはじめる。すなわち、重い元素を含む星間物質のなかの高密度部分が、収縮をはじめた。原始太陽(原始太陽系星雲)の誕生である。
 46億年前、輝きだした太陽、太陽系(太陽およびその引力に支配される天体の集団)の完成。水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の九個の惑星。火星と水星の間には小惑星。うち、水星、金星、地球、火星を「地球型惑星」といい、木星、土星、天王星、海王星を「木星型惑星」という。木星型惑星(とくに木星)は、太陽になり損ねた星といわれる。
 冥王星の成因については、よく分からない。小惑星は、惑星になり損ねた星のかけらとでもいうべきか。このほかに、第十番目の惑星が見つかったというような話もある。冥王星の外側には、「エッジワース・カイパーベルト天体」というのがある。このカイパーベルト天体の、軌道を外れたものが、「ケンタウルス天体」といって、木星と海王星の間を回っている。さらに、カイパーベルト天体の外側には、「オールトの雲」という天体があり、ハレーなど長期彗星の故郷と考えられている。カイパーベルトについては、彗星の族にかかわる、星のかけらとでもいっておこう。
 そして、お待たせ。地球の誕生、太陽第三惑星の誕生である。「空漠たる空間の中で、初期の分子たちがとぎれることのない輪舞を始め、ある平凡な銀河の端近くに奇妙な惑星を誕生させる」(世界でいちばん美しい物語)。星間物質の集積、微惑星の衝突と付加、融合。基本的な成層構造の形成。やはり46億年前のことである。

信濃では
 月と仏と
  おらばそば
     一茶
白玉の歯にしみとほる秋の夜の
  酒はしづかに飲むべかりけり
           若山牧水


モクサイ通信№58(2003.11)
NO.58  2003.11.15
発行者 今関弘道
第58回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年10月24日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一  
4、ふりかえり・おさら
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「仁を為すは(p42の16行目)~朱子につめられる(p46の7行目)」(今関弘道)
「曾子曰(p46の8行目)~里ぞ(p48の2行目)」(後藤 宏)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
p8の10行目 凡尋:はんじん、およそたずねる。または、尤尋:ゆうじん、はたまたたずねる。保留。
P12の15行目 服する○○○○:そうなり
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p33の10行目 春秋は~:出典、礼記、周禮をインターネットで検索のこと。
p42の14行目 剛中云:保留
(以上保留事項……56回まで)

p42の15行目 與者:かは、読み。
p43の4行目 天窓:てんそう、読み。
p43の4行目 老莱子:ろうらいし、儒者。
p43の8行目 其道充大:読み。
p43の9行目 潦水:ろうすい、水たまり。
p44の4行目 仲人は宵の口:結婚の仲人の仕事は式の夜の宵に終るもの、早く引き揚げるがよい。
p44の10行目 秘事はまつげ:秘事などというものは自分の睫と同じように、案外ごく手近な所にあるもので、ただ気が付かないだけである。
p44の20行目 毒断:どくだち、読み。
p46の6行目 悳:とく、異体字徳。
p47の4行目 法言の面友:形だけのつきあい。法言は、揚子法言の略。漢の揚雄撰。13巻。「論語」に擬して作った書。聖人を尊び、王道を唱え、天道と人道との関係を説く。
p47の11行目 諸身:これを身に、読み。
p48の1行目 あずち:弓を射る時、的の背後に土を山形に築いた所。近世は的を直接あずちに懸けたが、中世はあずちの前に鳥居形を立てこれに的を吊る。
p48の2 千里ぞ:読み。

モクサイ講義関連資料
地名と曾子・墨子
「されば県の名が勝母(しょうぼ)とあれば、曾子はそこに入らず、邑(むら)の名が朝歌とあれば、墨子は車をひきかえしました」(史記列伝第三十三)
o「(曾子は)孝子として知られた。母に勝つの名を嫌ったのである。ただし勝母という県は実在しないという。墨子が朝歌の名を嫌ったのは、かれの音楽否定のためであろう。このことは、孔子が盗泉の水を飲まなかったのたぐいの表現である」(同上の註)

大牢について
 宗廟の祭のいけにえにする家畜は三種ある。牛と羊と豕(ぶた)である。この三種をそろえた場合を大牢(たいろう)といい、羊だけを供えるのを少牢という。祭がすめば、いけにえは身分に応じて分け与えられる。大牢は大変なご馳走をも意味した。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
 前回、今回ともに出席は四人、ちょっとさびしいけれど、意気の衰えはなし。「為己」、己をおさめる、己の為にす。「為人」の成果を期待してはならない。自己を研くとは柏木さん。僕も基本的にはそのように思う。そのような観点に立って、頑張っていこうと思っている。
 学而第一、論語の一番始めにある言葉。「学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや」。こうなると、田原さん身体の具合は、テキストに取り組むにはまだ時間が必要か、カイッチャンあちこち浮気して歩いているらしいけれど、そろそろ顔を出してもいい頃ではないか、など思う。

論語
子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し(雍也篇)
o中庸の徳としての価値は最高だ。だが、人民のあいだにとぼしくなってから久しいことだ。
*朱子は「中とは過不及のないことだ。庸とは平常の心」と解説する。極端に走らぬ、ほどよい中ほどを守ってゆく処世の徳。

次回開催日程
1、日時 平成15年11月28日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「子曰道千乗国(p48の3行目)~時を以てせねばならぬ(p52の4行目」(斎藤房一)
4、その他必要なこと
5、懇親会

自然誌ノート宇宙の内と外、認識の地平
宇宙の始まり・それ以前
宇宙の進化、時間と空間
光・フォトン
1、超ミクロ宇宙について
(1)ミクロ宇宙について、「内と外」という考え方はあるのか。
(2)同じ事かも知れないけれど、「非常に小さい範囲」「非常に狭い領域」といった場合、範囲や領域はどのように存在していたのか。
(3)超ミクロ宇宙がビッグバンを経て、膨張し続けているとして(膨張宇宙論)、宇宙の膨張はどのようなイメージでとらえられるのか。中心とか、端とかはないのか。
<まとめ>
★内と外、中心と端っこ、というような考え方をしても、差し支えはない。ミクロ宇宙の誕生後、10のマイナス10乗後の宇宙について、「全宇宙の大きさは地球の公転半径ぐらい」(量子の不思議、原康夫)というような言い方もされる。ただし、宇宙の外側、宇宙の端の向こう側については分からない。この課題については、認識の地平との関連で考えた方が現実的でないか。もしかしたら、ブラックホール=事象の地平面が参考になるかも知れない。
★ミクロ宇宙について、「非常に狭い領域に、すべての物質が閉じこめられていた」としても、差し障りはない。この場合、すべての物質については、単に物質、あるいは質量、あるいはエネルギーとしてもいいのではないか。
★ミクロ宇宙の誕生に関して、多元的宇宙と言うことを考えても、それは不思議ではない。
2、認識の地平について
(1)遠い天体ほど後退速度は大きい、遠い天体ほど早く遠ざかっている(ハッブルの法則)。後退速度が高速度となる距離を宇宙の地平線と呼ぶならば、われわれが原理的に観測できる宇宙は、地平線の内側である。ハッブルの法則によると、後退速度が光速度となる距離は150億~200億光年という。認識の地平を、これだけの意味にとらえていいか。
(2)膨張宇宙論から、宇宙の年齢は150億年~200億年前になるという。この場合、宇宙の地平線までの距離と宇宙の年齢とは同じと見ていいのか。
<まとめ>
★次の解説に随うことにする。距離と宇宙の年齢についての計算は、各自にお任せしたい。
★「ハッブルの法則……遠い銀河ないし銀河団が、その距離(r)に比例する速度(v)で後退して見えるという観測事実である。v=h・rをいうこの関係で比例定数hをハッブル定数と呼び、最近の観測による値は15~20km/s・100万光年である。なお後退速度が光速度(c)となる距離c/hを宇宙の地平線と呼び、上の値を用いると150億~200億光年となる。われわれが原理的に観測できる宇宙は地平線の内側である。また膨張宇宙論では1/hが宇宙の年齢の目安を与え、150億~200億年となる」(世界大百科事典、小尾信弥)。
3、宇宙の始まり・それ以前について
(1)現在のところ分からないとして、認識との関連はどうなのか。分かるということは地平を越えることなのか。あるいは、宇宙の年齢を越えることなのか。
(2)現在、研究はどのようなことで進んでいるのか。
<まとめ>
★物質、空間、時間の起源については、宇宙の年齢、認識の地平を越えることは出来ない。
★ビッグバン直後の宇宙の研究について、次の意見が参考となる。「われわれは、量子の階段の高い部分についての知識をもっていない。したがって、宇宙の歴史のごく初期について推測する知識を持っていない。その上、超高密度の世界での時間や空間はわれわれの常識とは違うので、ここでは考えないことにする」(同上、原康夫)。……「かなりはっきりと推測できるのは、ビッグバンから約10のマイナス10乗秒が経過して、宇宙の温度が約1000兆度とはった時点からである」(同上)。
4、宇宙の進化……物質・自己運動・階層性・晴れ上がり・フォトンなど
(1)超ミクロ宇宙において、すべての物質は素粒子、あるいは素粒子を構成する構成子と考えていいのか。この場合、構成子とは何か。
(2)素粒子(構成子)の能動性を以て、物質の自己運動を規定していいか。 
(3)進化する宇宙ー物質の自己運動ー運動する物質の階層性(自然の階層性)。このように考えてもいいか。
(4)宇宙の晴れ上がりとは何か。その意義は。運動する物質において、フォトン(光子)の果たしている役割は(このことについては、後でも触れる)
(5)宇宙背景放射とは何か。
<まとめ>
★進化する宇宙→物質の自己運動→宇宙ないし自然の階層性。このように考えていいのではないか。……?から→クオークや電子→陽子と中性子(クオークから)→原子核(陽子と中性子から)→原子(原子核と電子から)→分子(原子から)→物質(分子から)……(宇宙の晴れ上がり)→銀河→恒星→惑星→……。物質の運動の各階層(段階)には、固有の法則がある。
★宇宙の晴れ上がりは、電子と陽子が反応して中性の水素原子となったことにより、光子(フォトン)が熱平衡(相互作用)から外れ、自由粒子となって宇宙に拡散したことをいう。これより、各段階の物質は自身の重力により、銀河の形成に向かう。
★宇宙背景放射とは、宇宙晴れ上がりの時の電磁波(光)。
4、宇宙における時間と空間について
(1)「時間と空間は物質の存在様式」(町田茂)。「時間と空間はアプリオリなものではなく、物質より規定される」(同上)といった場合、物質とは、「素粒子ないしは構成子」の自己運動の結果としての、自然における各階層と考えていいか。
(2)時間と空間は切り離せない……理解の仕方
<まとめ>
★結論的には、時間、空間、物質(重力、エネルギー)、運動の速さ、光速といったものは、結びついている。
★表現方法としては、「動いているものの寿命は、止まっているものの寿命よりも伸びる」、「電車の中央から光を発する。先端と後端には、電車に固定した座標系で見れば、同時に達する」→「この一連の過程を、地上に固定した座標系で見ると、前向きの光が先端に追いつく前に、後ろ向きの光は後端に達する」→「よって、『光速不変の原理』を認める以上、同時刻という概念には絶対的な意味はない」、「自分に対して動いている座標系の時計は進み方が後れ、また物体の長さは縮んで見える」、「ある座標系で時間と考えている量が、他の座標系で見ると、時間と空間座標の交じり合ったものになるというのであるから、区別はつけられない。むしろ両者を統一した時間、空間、または略して時空こそが物理的記述の枠組みとなるべきである」、「物質が存在するときは空間と時間の性質は物質の密度によって違う」というような謂いになる。
★より詳しくはというか、簡単にはというか、そのためには特殊相対性理論、一般相対性理論、ローレンツ変換等の諸式を参照のこと。
5、時間、空間の非分離性と「真空中の光速度より早いものは存在しない」という意味。
(1)光速度という、光という一つの物質の性質が、動いている観測系と止まっている観測系を結びつけている、という意味。
(2)光とは何か。光を物質といった場合、素粒子(構成子)から進化してきたものか。宇宙は、物質と光で満たされているといった場合、物質とは。光とは。時間と空間と光の関係は。
<まとめ>
★光とは何かという問いは適切であったのかどうか。ここで言えることは、物質の運動を説明するための理論、たとえば相対性理論などにおいては、光の位置づけが規定的な役割を担っていること。光速度は自然の基本定数の一つとされていること、同じ事かも知れないけれど、光速度より早いものは存在しないとされていること、これらの意味するものは、光が素粒子の上位の段階、あるいはさらに上位の段階にあって、物質の運動にかかわっているのではないかと謂うことだろう。クオーク、レプトンと共に、ゲージ粒子として、物質の基本的粒子というような説明もある。物質と物質を結びつける、電磁力ないし電気力を媒介すると謂うことでもある。


モクサイ通信№59(2004.01)
NO.59  2004.01.29
発行者 今関弘道
第59回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成15年11月28日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、後藤 宏、今関弘道、斎藤房一  
4、ふりかえり・おさら
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「子曰道千乗国(p48の3行目)~時を以てせねばならぬ(p52の4行目」(斎藤房一)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
(以上保留事項……58回まで)

p48の8行目 伯者:覇者。
p49の18行目 切れのいい:まじりけのない、欠けていない。
p49の19行目 ○○往くても:かえにいっても。
p50の7行目 手嶌:手島堵庵のこと。
p51の3行目 高直:高値、値段の高い。
p51の13行目 而已:のみ(読み)。
p51の15行目 王荊公:王安石のこと。

漢詩
子夜呉歌
長安 一片の月 
万戸 衣を擣つの声 
秋風 吹き尽くさず 
総て是れ玉関の情 
何れの日か胡虜を平らげて 
良人 遠征を罷めん
           (李白)
o盛唐詩
o一片の月………長安を一面に照らす月の光 
o玉関………玉門関、中国本土の西の果て、甘粛省からから新彊ウィグル自治区へはいるところにあった関所 
o胡虜………西北の異民族

モクサイ講義関連資料
孔子は魯国の宰相となったか、あるいは代行したか
史記列伝には「孔子は魯の国の宰相となった」(孔子相魯)とあり、また世家にも「孔子、相の事を摂す」とあって、孔子が魯国の宰相であったか、あるいは代行したかに聞こえる。しかし、列伝の註には、これは誤りであろう。孔子はこの年五十歳で、魯の定公が斉候と会するにあたり、介添え役として加わったに過ぎないとある。
懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
「為己」(己をおさめる)、「為己」(己の為にす)が、モクサイを語る会の基本だと思うのだけれど、人が少ないと、ちょっと寂しい。そこで一つは物理的な条件、日時と場所の再設定をする必要があるのではないか。五年間、花の金曜日とはいえ、午後六時半、そして懇親が九時前後。言い出しっぺの一人、毎日サンデーの僕でさえ、おっくうになることがある。ましてや働きながら学ぶとなると。それに、そうそう若くはない。五十代前後の五年はそれなりの重みがある。そこで、たとえば土曜日の午後二時、場所は成東でというように、考えてみたらどうか。それに車の問題もある。懇親会も柔軟に考えるべきだろうし、列車やバスの便も考慮に入れてとか。二つ目には、インターネット利用、役場などとの協力関係など、詰めたらいいように思う。こういった中から、新しい仲間の輪が広がるかも知れない。三つ目には、黙斎のいう訓詁の学!?に陥らないということになるか。字句、語句、故事来歴といったものは欠かせない。あげどりを分からないままで、先へは進めない。反面、そこで何がいわれているのか、僕らの持っている言葉あるいは概念を以て、理解するようつとめることが必要だと思う。たとえば「愛の理」、朱子の言った言葉として読むことは出来るけれども、何を意味しているのか、黙斎は何をいおうとしているのか、朱子は何を言ったのか、程伊川はどうだったのかなどなど。両輪として位置づけていくことが必要だろう。

論語
子曰く、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義して富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し(述而篇)
 このような孔子の言葉を見ると、何となく心が穏やかになる、休まる。しかし孔子は、肱を枕にして、隠者のように過ごしたわけではない。孔子は春秋戦国時代の初めにあって、偉大な思想家であり、実践家であり、教育家でもあった。この言葉のキーポイントは、「不義にして富み且つ貴き」(道ならぬことで金持ちになり身分が高くなる)というところにある。

次回開催日程
1、日時 平成16年1月30日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 04762-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「子曰弟子入則孝云々(p52の5行目)~学問はすてるになる(p57の3行目」(柏木恒彦)
4、その他必要なこと
5、懇親会(新年会)

自然誌ノート46億年前、火の玉地球、微惑星の衝突、ジャイアント・インパクト(月の形成?)、原始大気の形成、マグマオーシャンの形成、水の惑星、核(コア)の形成
 超ミクロ宇宙の誕生、つまりはビッグバンから100億年経過。宇宙は進化する中で、いわゆる「自然の階層」を作り出し、ステージは星雲、恒星、惑星の形成へと移った。
 地球の誕生は46億年前である。ここからは地球の話、海と大地の成り立ち、および生命の誕生と進化を見ていくということか。
 地球の進化を見る時間的物差しは、地質年代によるのが一般的だ。地質年代は大きくいって二つに分けられる。先カンブリア時代(46億年前~25億年前)と顕生代(6億年前~現在)である。そして、先カンブリア時代は、冥王(めいおう)代(46億年前~40億年前)、太古代ないし始生代(40億年前~25億年前)、原生代(25億年前~6億年前)の三つに区分される。冥王代とはギリシャ神話のハディス(プルート)にちなんで名付けられたものである。同様にして、顕生代も古生代(6億年前~2.5億年前)、中生代(2.5億年前~6500万年前)、新生代(6500万年前~現在)というようである。地質年代区分は、この他に色々なされるけれども、これでいいと思う。
 さて、46億年前、出来立ての地球は「火の玉地球」と呼ばれる。微惑星の衝突で熱くなっている地球という意味である。微惑星というのは直径10キロ、重さ1兆トン、地球のあたりには100億個ほどあったという。この微惑星が衝突と合体を繰り返し、重力を増加させ、さらにまわりの微惑星を引きつけて、「原始地球」が出来上がったということになる。現在の地球の半分ぐらいに成長した原始地球には、なおも年間1000個以上の微惑星が衝突していた。早くの段階で衝突、合体した微惑星には金属鉄や岩石が多く含まれ、遅くに引きつけられた氷からなる彗星(すいせい)のような微惑星には、生命の素材となる炭素、窒素、酸素などの物質が含まれていた。
 火の玉地球の最初の出来事は、「ジャイアント・インパクト(月の形成?)」である。現在の火星ぐらいの大きさの天体が、浅い角度で地球に衝突。衝突した天体は、地球のマントル物質とともに飛び散って、地球の周りの軌道に集積、これが月になったという。説としては有力視されているが、仮説である。
 第二の出来事は「原始大気の形成」である。微惑星ないしは巨大な隕石が日常不断に地球の衝突、これに含まれていた揮発(きはつ)性のガスが蒸発して、厚い大気の層を作り上げた。原始大気の組成は、水蒸気をのぞくと、炭酸ガス91%、窒素6.4%、硫化水素2%というもので、現在の大気の組成とは大きく異なっている。この段階での地球環境をスケッチすれば、高温、高圧、遊離した酸素の欠如、オゾン層はなく、遠く太陽からの紫外線がさんさんとして降り注いでいた、といったところである。
 第三の出来事は、マグマオーシャン(マグマの海)の形成である。微惑星や隕石の衝突エネルギーは、炭酸ガスを主とする原始大気の温室効果によって、熱という形で地表付近に封じ込められていた。地球の表面は熱によって溶かされ、地表はあまねくマグマ(溶岩)によっておおわれた。これがマグマオーシャンである。
 第四の出来事は、「水の惑星」として地球の進化が開始されたことである。原始大気とマグマオーシャンの相互作用。原始大気の水蒸気は、温室効果によって作り出されたマグマの海に、吸収されかつ吐き出された。このメカニズムは、あとで見る原始海洋の形成に連なっていく。
 第五の出来事は、「核(コア)の形成」だろう。マグマオーシャンの形成に見る高温、高密度の地球環境。金属鉄の成分は液体から分離され、マントルの中をかき分けて沈み込み、地球の中心に向けて崩落した。核の形成であった。


モクサイ通信№60(2004.02)
NO.60  2004.02.25
発行者 今関弘道
第60回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年1月30日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、土屋幸恵
  実川嘉一、片岡茂紀  
4、ふりかえり・おさらい
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「子曰弟子入則孝云々(p52の5行目)~学問はすてるになる(p57の3行目」(柏木恒彦)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
p53の10行目 洪氏:保留。
p56の3行目 游氏:保留。
p56の12行目 呉才:保留。
p57の2行目 毛ずい:保留。
(以上保留事項……60回まで)

p53の6行目 瞽○(こそう):舜帝の父の名。。
p53の10行目 泰伯々夷:泰伯と伯夷、論語参照。
p54の4行目 ひい人:一の人、賢人そのもの。
p54の6行目 刀の身:かたなのみ(読み)。
p54の6行目 目貫:刀剣類の柄つかの側面につける飾り金物。刀心を固定させる目釘の鋲頭や座の飾りとするのを真目貫(まことのめぬき)といい、近世、装飾化して目につきやすい位置に飾るのを飾目貫かざりめぬき()という。
p55の10行目 学問の効:学問のしるし(読み)。
p56の3行目 三代:夏・殷・周のこと。
p56の16行目 語立:ごたて、言葉のこと。

漢詩
黄鶴楼にて、孟浩然が広陵に之くを送る
故人 西の方黄鶴楼を辞し 
煙花 三月 楊州に下る 
弧帆の遠影 碧空に尽き 
唯だ見る 長江の天際に流るるを
              (李白)
モクサイ講義関連資料
伊尹、傅説(ふえつ)、呂尚の苦節
(1)伊尹……「殷の開祖湯王の名宰相。彼は湯王の妃の下男に身を落とし、うまい料理を作り、鍋を背負って、湯王にすすめ、そこで王に策を説いた、と伝えられる」(史記列伝、第六十四の注)。
(2)傅説……「傅説は、殷の王武丁の名宰相で、武丁に殷の中興をなさしめた。彼は、今の山西省平陸の東にあった傅(ふ)の巌窟にかくれ住んで、人夫をしていたが、武丁が夢で聖人の傅説のことを知り、召しだされた、という。殷本紀に見える」(同上)。
(3)呂尚……「文王に見いだされる前、彼は年すでに七十歳、貧窮して棘津(きょくしん、河南省延身の東北にあった渡し場)で食べ物を売っていた、と伝える」(同上)
 *道統の伝において、伊尹と傅説は聖人として扱われているが、呂尚(太公望)の名はあげられていない。周公、召公が聖人であって、なぜ呂尚は聖人でないのか。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
○懇親
 久しぶり、懇親会らしい懇親会、そして新年会だった。これからのモクサイを語る会の持ち方、あり方、インターネットの利用の仕方など、いろいろ話すことが出来た。論語集註講義のレポート分担も最後まで決めた。本年度後半から、直方四部作(道学標的、排釈録、鞭策録、鬼神集説)を展望できる地点にまで、さしかかったからだろうと思う。関連して、今回の語る会の講義録の一節、われわれ相互の関係ににておもしろい。書き付けておきたい。「汎愛衆而親仁」=汎く(ひろ)衆を愛して仁に親(ちか)づく(朱子論語集註)。そしてモクサイの講義、「汎愛衆而親仁、皆にむつまじくする。衆は○体(そうたい)我に交わる者の相手が衆なり。それにへだてをするは愛がない。愛は否ということなく深切にする。仁は交わる中にも人徳のある人を親類のようにする」……。下学上達、一歩一歩ではあっても、前に向かって進んでいくことが大切だ。

論語
 曾子、疾(やまい)あり。門弟子(もんていし)を召(よ)びて曰く、予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。詩に云う、戦々兢々(せんせんきょうきょう)として深淵に臨むが如く、薄冰を履(ふ)むが如しと。自今(いま)よりして後、吾れ免るるを知るかな、小子(泰伯篇)
曾子が病気にかかり、門人を呼んで言った。わが足を見よ、わが手を見よ。詩経に「おそれ戒めつ、深き淵にのぞむごと、薄き氷を踏むごと」とあるが、これから先は私ももうその心配はない。小子たちよ。
*孝経には「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とある。曾子は孝行でしられる。死に臨んで手足の完全さを門人に見せて戒めとした。 

次回開催日程
1、日時 平成16年2月27日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「子曰君子不重(p57の4行目)~響いてすることぞ(p62の6行目」(今関弘道)
4、その他必要なこと
5、懇親会

論語集註講義レポート分担
 今回の課会で、レポート分担を以下の通り決めた。これで論語集註講義は終了することになる。

「子曰君子不重(p57の4行目)~響いてすることぞ(p62の6行目)」(今関弘道)
「子禽於子貢(p62の7行目)~やめにするなり(p65の13行目)」(土屋幸恵)
「子曰父在観(p62の8行目)~からなりと云えり(p67の5行目)」(実川嘉一)
「有子曰礼之用(p67の6行目)~親父も呵るなり(p72の11行目)」(後藤 宏)
「有子曰信近(p72の12行目)~そこなうことぞ(p74の17行目)」(斎藤房一)
「子曰君子食無(p74の18行目)~正に似たり(p76の5行目)」(柏木恒彦)
「子貢曰貧(p76の6行目)~弁えぬからぞ(p78の14行目)」(今関弘道)

自然誌ノート45億年~40億年前
原始海洋の出現
原始地殻の形成
プレートテクトニクス環境の
成立
 熱い熱い地球から1億年が経過した。われわれの属している新生代は6500万年しか経っていないのだから、ちょっとはかることの出来ない時間の経過だ。45億年~40億年前の地球。原始海洋が出現した。原始大気中、水蒸気と炭酸ガスは上層で冷やされ、雨となって地球に落下、しかし地表の温度は高く、再びガス化して上層へ。この繰り返しの中で、地表の温度がだんだんと低下する。滝のように落ちる雨、泡立つ硫化水素の海。炭酸ガスは海に溶けて、温室効果も少しずつゆるやかに……。赤外線による温度上昇と水蒸気の蒸発は、上層で冷やされて雨となって原始の海に降り注ぐという循環が形成される。原始海洋はガス化せず、地球は水の惑星としての進化をはじめた。
 併行して原始地殻の形成が始まった。微惑星、隕石の衝突は減少し、地球表面が冷えはじめるにしたがって、マグマオーシャンの表面も冷却し、徐々に固化がすすむ。原始地殻の形成だ。原始地殻は、マグマの海の上に浮かんで、地球をベールのようにおおいはじめた。図式的に言えば、薄皮のような原始地殻の上に、原始海洋が浮かび、マグマオーシャンの上に、原始地殻が浮かんでいたと言うことになる。実際の所は見たわけではないし、分からないけれど、三者の相互作用の中で、地球は進化を続けたとでも言っておく。
 地球表面が冷却・固化するにしたがい、「プレートテクトニクス」環境が成立した、あるいは成立していった。本格的な始動は、40億年前後になると思われるが、このことは地球の海と大地の成り立ちにとって、エポック(画期)となりうる。プレートテクトニクス力学は、大陸移動・海洋底拡大説、あとで見るプリュームテクトニクス理論などと、密接な関連を持っている。マイペディア(百科事典)では、次のように説明されていて分かりやすい。
 「地殻運動を解明するのに、地球表面を比較的地震の起きない十数個のプレート(板)の部分と、プレート間の境界である地震帯の部分に分けて考え、海洋の中央海嶺からはプレートが互いに離れ、島弧や若い山脈ではプレートが互いに近づき衝突し(プレートが重なって一方が他方の下へもぐりこむ)、在る部分ではプレートが互いに水平方向へすべっている(トランスフォーム断層)という、三つの型で説明する全地球的なプレート力学」。
 なお、原始海洋・原始地殻の形成年代については、いろいろ言われている。ここでは45億年~40億年前でくくった。大過ないようにおもう。


モクサイ通信№61(2004.03)
NO.61  2004.03.17
発行者 今関弘道
第61回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年2月27日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、後藤 宏、土屋幸恵
4、ふりかえり・おさらい
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「子曰君子不重(p57の4行目)~響いてすることぞ(p62の6行目」(今関弘道)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
p53の10行目 洪氏:保留。
p56の3行目 游氏:保留。
p56の12行目 呉才:保留。
p57の2行目 毛ずい:保留。
(以上保留事項……61回まで)

p57の9行目 学則不固:厚重でなければ堅固ではない(集註通り読むこと)。
p57の10行目 上は気:浮気。
p58の7行目 郷:ところと読む。
p59の1行目 人の丸焼:家が燃えること。p59の7行目 すんた:済んだ。
p59の20行目 出からかひきする(本のまま):出たがらないということだろう。
p60の15行目 心楽:必楽。
p60の15行目 終焉:おえん(読み)。
p61の1行目 斂:れん。亡きがらを棺におさめること。
p61の1行目 椁:かく。棺のこと。

漢詩
春望
国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり 家書万金にあたる 白頭かけば更に短く すべて簪に勝えざらんと欲す
             (杜甫)
o盛唐詩
o春望………春の眺め

モクサイ講義関連資料
孔子の名を天下に広めたのは子貢?

[子貢は仲尼について学問した後、かれのもとを去って衛の国に仕えたが、曹と魯の国のあたりにおいて、物資を買い込んだり、売り出したりする業をいとなんでいた。七十子のなかまでは、子貢が一番富裕であった。原憲は酒のかすやぬかさえも腹一杯は食べられぬありさまで、細民街にかくれ住んだのに、子貢は四頭立ての馬車に乗り、騎馬のお供をしたがえ、帛(きぬ)の束を贈り物として、諸侯と交際し、どこへ行ってもその国の主君は、彼と対等の礼儀で迎えたのである。いったい孔子の名を天下にひろめたのは、子貢がその後に出たからであった](史記、列伝六十九)。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
(1)西洋文化と東洋文化の折り合いをつける。われわれのモクサイを語る会は、その結節点に位置しているのでは、そんなように感じ始めている。だからというわけではないのだけれど、モクサイとの関連で聖代・聖王・聖人とは何か、道統の伝とは何か、異端の学とは何か、というような課題を立てて、まずは春秋戦国時代を中心にして、人に即して云えば孔子から荀子への流れを追ってみよう。その上に立って、要すれば諸子百家の説の評価というか、批判をしてみよう。うまくまとまるか、お楽しみと云うところ。

(2)桜木さんは元気です。[上総道学の淵源]に続いて、[上総道学と隠岐の漢学]というレポートを送ってもらいました。頽令とあるけれど、九十三才になるか、モクサイ学の大先輩、僕らの励みです。

(3)柏木さん、近思録講義の再チェック終了。近思録とは宋学の論語、朱子集註に加えて、近思録を踏まえることができるということでは、われわれの語る会にとって、大きな画期をなすと思う。

論語
葉公(しょうこう)、孔子を子路に問う。子路対(こた)えず。子曰く、女(なんじ)なんぞ曰わざる。其の人と為(な)りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみと。
o葉公……楚の葉県の長官。
o憤り……学問に発憤して
o楽しみ……道を楽しんで。

次回開催日程
1、日時 平成16年3月26日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「子禽問於子貢(p62の7行目)~やめにするなり(p65の13行目」(土屋幸恵)
4、その他必要なこと
5、懇親会

自然誌ノート45億年前~40億年前
地球は生命発生の坩堝(るつぼ)
内と外を備えた化合物
自分と同じようなものをつくれる分子へ
 原始海洋が出現し、原始地殻が形成される中、地球は生命発生の坩堝となる。大気中の水蒸気は凝結し、激しい雨となって地表に降り注ぐ。太陽エネルギーが水の惑星を包み込み、原子の結合が始まる。
 前生命段階の多様な液滴の出現。内と外を備えた化合物。タンパク質は親水性のアミノ酸と、疎水性のアミノ酸をもち、外側は水とつながり、内側は水に触れないと云うような……。
 液滴(内と外を備えた化合物)間の自然淘汰、生命以前の生存競争が進行する。分子の破壊と再構成、有機化合物の生成が進む。炭素・酸素・水素・窒素・燐・硫黄などの原子の結合、アミノ酸が形成される。
 生命誕生は、液滴から原始細胞への進化と云うことでもあるだろう。生命の発生にとって、最も本質的なものは、脂質あるいは類似物質による膜形成と、その結果生じる外界と内部(液滴ないし細胞内部)の分離ということもできる。
 「星くずの中に含まれていた原子や分子は、熱い海の中でもみあっている中で、『自分と同じようなものをつくれる分子』ができたのだろう。生命とは自分と同じようなものを限りなくつくっていける物質(分子)のことである」(生命の奇跡、柳澤桂子)。
 原始生命が誕生した環境には二つの説がある。一つは「ビーナスは西風の吹く地中海に誕生したけれど、最初の生命体のゆりかごは、原始大洋の底、プレートを生産する中央海嶺の熱水領域である」(ジオ・ポエムの翼に乗って)とするものである。もう一つは「惑星に雨が降る。天から落ちてきた精妙な分子が干潟の中で結合して、生命の最初の滴(しずく)を作り出す。……干潟や沼地など、昼は乾燥して暑く、夜は湿って冷たい場所で発生した」(世界でいちばん美しい物語)というものである。ここでは前者の説を採ることとする。

かすみたつ
ながきはるひにこどもらと
てまりつきつつこのひくらしつ
(良寛)

この歌は、次の長歌(ちょうか)に付された反歌である。反歌とは「長歌の後によみ添える短歌…。長歌の意を反復・補足し、または要約するもので、1首ないし数首から成る。かえしうた」(広辞苑)である。
「冬ごもり春さりくれば 飯(いい)乞うと 草のいほりを立ち出でて 里にいけばたまほこの道のちまた 子どもらが今を春べと手まりつく ひふみよいむな汝(な)がつけば吾(あ)うたい あがつけば汝(な)はうたい つきてうたいて霞(かすみ)立つ長き春日を暮らしつるかも」。これが長歌である。

良寛には手まりつきの歌が多いという。童心に帰ってということだけれど、浮き世であくせく生きているわれわれ、なかなかそのような心境にはたどりつけない。分からない言葉があったとしても、感じで読み通すという手だと思うよ。


モクサイ通信№62(2004.04)
NO.62  2004.04.10
発行者 今関弘道
第62回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年3月26日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、土屋幸恵
4、ふりかえり・おさらい
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「子禽問於子貢(p62の7行目)~やめにするなり(p65の13行目」(土屋幸恵)
以上を終了させた。
(3)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
p53の10行目 洪氏:保留。
p56の3行目 游氏:保留。
p56の12行目 呉才:保留。
p57の2行目 毛ずい:保留。
(以上保留事項……62回まで)

p62の15行目 角ひし:角菱。かたい、ゆうづうのきかない。
p62の16行目 ばさけた:ちらばる、ばさばさにする。p63の7行目 凡人の衆人愛敬:凡人がみんなに愛敬をふりまsく。
p63の14行目 大へい:大弊、大きな弊害。
p64の1行目 孕み句:孕句、あらかじめ考えていた句。
p64の3行目 鷺烏:さぎとからす、白と黒。
p64の14行目 分上を:読み、ぶんかみを?。
p65の9行目 秉彝:へいい。人が天から定められた常道に従うこと。

漢詩
春暁
春眠暁を覚えず
處處啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少
         (孟浩然)
o盛唐詩
o花落つること知る多少……どのぐらい落ちただろうか。

モクサイ講義関連資料
孔子とキリンについて
「また(魯の哀公が)西の地へ狩りに出て、麟をえたときに、孔子は嘆息した。『わが道はきわまった』。そのため孔子は魯の国の歴史記録にもとづいて『春秋』を作り、王者の則るべき教えとした」(史記列伝第六十一)
「前四八一年、魯の哀公は麟をえたが、麟はすでに死んでいた。麟は仁獣といわれ、聖王の太平の世にのみ出現する獣である。孔子はこれを見て『われやんぬるかな』、また『わが道窮まれり』と嘆息した。死んだ麟は『(孔子)将に没せんとするを告ぐるの徴(しるし)』(公羊伝、何休注)、であったからだ、といわれる」(同上、注)

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
 土屋さんのレポート、おもしろかった。語句あるいは節の意味にこだわることは大切なことだと思う。今回話し合ったことは、次の二点。(1)成東町のホームページに、モクサイを語る会の場所を空けてもらえるかも知れない。ニュースソースは土屋さんの娘さん、役場に勤めている。いいニュースだと思う。(2)次のテキストは道学標的、これについては柏木さんがすでに読了。これをフロッピーにして事前に配布、範囲を決めて課会で論議、いい方法、いい考え方だと思う。おそらく深い意味合いにおいて、モクサイの講義録を理解することができるだろうし、スピードもあがるだろう。それと、新しい人が入って来た場合でも、フロッピーのコピーで対応できる、房一さんの手間が省ける。

論語
子、怪力乱神を語らず(述而篇)
 孔子は、怪異と力わざと不倫と神秘とは、口にされなかった(金谷 治訳)。
o孔子の合理的なものの考え方を示す言葉として注目される。孔子の説く礼制は、殷からの神懸かりの政治ないしは政治形態、これからの脱却という側面をもっていたことに留意。

次回開催日程
1、日時 平成16年4月23日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「子曰父存観其志云々(p65の14行目)~打つけるからなりと云えり(p57の5行目」(実川嘉一)
「有子曰礼の用(p67の5行目)~親父も呵るなり(p72の11行目)」(後藤 宏)
4、その他必要なこと
5、懇親会

自然誌ノート40億年前~35億年前
プレートテクトニクスの開始
プレートの出現、沈み込み帯・中央海嶺・ホットスポットの出現、
上下二層のマントル対流
大陸性地殻の増加、最古の岩石
 原始大洋によって炭酸ガスが吸収され、温室効果が減少する。熱は大気圏外に発散、地球表面の冷却が進行、地球の表層は固化し、プレートテクトニクスが開始された。
 地表では原始地殻に亀裂が入り、新しいプレートが出現した。当時のマントル対流は上下二層に分かれており、上層のマントル対流が小規模であったことに規定され、出現したプレートも小規模なものであった。 
 大陸性プレートと海洋性プレートの間に沈み込み帯が形成され、海洋性プレートが大陸性プレートの下に潜り込みを開始した。同時に海洋性プレートの内には、マグマの出口としての中央海嶺、ホットスポットが形成された。
 大陸性プレートは、いわゆる大陸核、始原大地として存続し、海洋性プレートはマグマに還流するというシステムが形成された。
 沈み込み帯においては、海洋底の堆積物がはぎ取られ、いくつもの逆断層で積み重なった構造を持つ付加体が形成された。「日本列島の誕生」(岩波新書)には、次の記述がある。「伊豆衝突帯のように、太古ではプレ-トの沈み込みに伴い島地殻あるいは海洋地殻の上部がどんどんはぎとられて付加した」。「先カンブリア時代や古生代前期に出来た大陸性地殻からなる地塊の周囲に沈み込み帯ができ、海溝堆積物、海山、島弧などが付加し、付加褶曲帯が形成された」。プレートテクトニクスが機能を開始して以降、付加作用が進み、大陸地殻が増加した。大陸地殻の生産率は太古代が圧倒的に高く、現在の大陸地殻の70%以上が太古代に出来たものである。
 なお、マントル対流についていえば、始生代マントルは2層対流であり、上層のマントルと下層のマントルは交流がなかった。やがて上部マントルの冷却、下部マントルの放射性元素の崩壊熱による温度上昇、および上部マントルに滞留した低温物質の下層マントルへの崩落などにより、マントルオーバーターン(27億年前)が引き起こされることとなる。
 最古の岩石といわれるものが、カナダのアカスタ地方およびグリーンランドのイスア地方で見つかっている。カナダのものは、アカスタ片麻岩とよばれ、39億6200万年±300万年前の測定結果がある。グリーンランドの岩石は、40億年前といわれるが、39億年~38億年前という説もある。「マイペディア97」には、イスア岩体として、次の記事が載せられている。「グリーンランドに分布する,世界最古の地表で形成された地層からなる岩体。地層のたまった年齢は38億~36億年前のものと考えられている。広域変成岩になっているが,もとの岩石は溶岩類(枕状溶岩を含む),チャート,タービダイト,レキ岩などであり,海洋プレートの沈み込みによって形成される付加体の堆積物に似た構造を示す。このことから,すでに38億~36億年前には地球表面ではプレートテクトニクスがあったという考えがある」

いひこふと わがこしかども はるののにすみれつみつつ ときをへにけり(良寛)
飯をもらおうと私は托鉢(たくはつ)に来たのだけれども、春の野に出てすみれを摘んでいるうちに、いつの間にか長い時を過ごしてしまったようだ。
o生活も忘れて自然の中へ溶けこんでしまう作者の純真な心がうかがわれる、という評がある。


モクサイ通信№63(2004.05)
NO.63  2004.05.21
発行者 今関弘道
第63回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年4月23日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、土屋幸恵
  後藤 宏
4、ふりかえり・おさらい
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「子曰父存観其志云々(p65の14行目)~打つけるからなりと云えり(p57の5行目」(今関弘道)
「有子曰礼の用(p67の5行目)~親父も呵るなり(p72の11行目)」(後藤 宏)
以上を終了させた。
(2)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
p53の10行目 洪氏:保留。
p56の3行目 游氏:保留。
p56の12行目 呉才:保留。
p57の2行目 毛ずい:保留。
(以上保留事項……63回まで)

p67の6行目 ケ条:科条、おきて。
p69の1行目 あのかた:あの形=礼。
p69の15行目 八朔:八月一日。取り入れを祝う行事、祝いの席。
p69の19行目 附子:ぶし、うず、とりかぶとの根。
p70の6行目 子桑、伯子、八達:保留。
p71の14行目 関雎:かんしょ、詩経の一篇。
p72の8行目 湯の辞儀は水になる:入浴を遠慮して譲り合えば、その間に、せっかく沸かした湯が水になる。。
漢詩
山中に幽人と対酌す
両人対酌 山花開く
一盃一盃 復た一盃
我酔うて眠らんと欲す
卿且(しばら)く去れ
明朝 意有らば琴を抱いて来たれ
             (李白)
モクサイ講義関連資料
子夏・子貢、曾子と法家(兵家)

「田子方、段干木、呉起、禽滑釐などはみな子夏たちについて学び、諸侯の師となった。このころ(諸侯のなかで)ひとり魏の文候だけが学問を好んだ」(史記列伝)。

(呉起以外の)三人について、くわしいことは不明。ただ「史記」魏世家では「魏文候の師田子方」および「文候、段干木を客とす」と述べ、「呂子春秋」当染(とうせん)篇に「禽滑釐は墨子に学ぶ」と述べている。なお当染篇はまた「田子方は子貢に学び、段干木は子夏に学び、呉起は曾子に学ぶ」ともいう(史記列伝第六十一の注)。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
 カイッチャン、くもがくれ、仕方が無いねえ、僕がつっかえつっかえやりました。みんな分かったか? 後藤さんのレポート、一瀉千里の観あり、礼と和、礼と楽、程子と朱子のまとめ、題材は三年の喪。
 テキスト、朱子論語集註講義、おそらく六月で終わる。七月からは、場所を成東の菜の花会館に移そう、しかし、後藤さんより月二回の土日は取っておきたい、柏木さん、それでは交互にやっては。それも悪くはないけれど、ホームページのこともあるし、新規に参加する者もいるかも知れない。さてどうするか。
 成東町ホームページの件、柏木さんより報告、見通しがはっきりしないとのこと。もう少し待ってみるか、土屋さん、私の方からも確かめてみましょうか。
論語
子曰く、天、徳を予(わ)れに生(な)せり。桓○(かんたい)其れ予れを如何(述而篇)
o孔子が宋の国で迫害を受けたときの言葉。天がわが身に徳をさずけられた。桓○(かんたい)ごときがわが身をどうしようぞ。ここで問われるのが、孔子のものの考え方。天を意思あるものとして、認めていたかどうか。孔子の実証的かつ合理的なもののとらえ方に対して、どのようなことになるか。孟子と荀子の分岐をなす言葉でもある。
次回開催日程
1、日時 平成16年5月21日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「有子曰信近義言可復也(p72の2行目)~いつもそこなうことぞ(p74の17行目」(斎藤房一)
「子曰君子食無求飽云々(p74の18行目)~多は正に似たり(p76の5行目)」(柏木恒彦)
4、その他必要なこと
5、懇親会
 川和井のオヤジさんも参加の予定です。

自然誌ノート40億年~35億年前
生命の誕生(40億年前)
DNAの形成
原核生物段階・原始細胞の出現
発酵・呼吸・光合成によりエネルギーを獲得
 生命の誕生、生命分子としてのDNAの形成。DNAとは遺伝子の本体ないし実体。アデニン、チミン、グアニン、シトシンという四つの分子によって構成される。タンパク質の構造を規定して、形質発現に関与する。生命(生物)の再生産および生命維持に必要な、機能や形態を決める、いわば設計図である。
「これらの分子は、地球上に宇宙から降ってきた『星くず』に含まれていた分子や原子からできた。……原始海洋の中では、RNAやDNAのほかに、アミノ酸やタンパク質、脂肪などもつくられただろう。やがて、脂肪が膜をつくって、RNAやDNA、タンパク質、原始の海までも加えて細胞ができあがった」(柳澤桂子、生命の奇跡)。RNAとは、DNAとともに遺伝やタンパク質合成にかかわる働きをする。
 38億年~35億年前、原核生物段階=原始細胞の出現。原核生物は一つの細胞(単細胞)より成り立っていて、核をもたず、DNAは原形質中に散在している。大きさは1ミクロン以下である。DNAは損傷の危惧にさらされていた。細胞の規模に規定されてか、DNAはふつう一個以上より存在せず、したがってタンパク質の形態、機能を規定するところの遺伝子的機能は、きわめて限定されていた。最も原始的な生物と考えられる。
 原始細胞は、液滴段階を含む自然淘汰の過程を通じて、(1)発酵、(2)呼吸、(3)光合成の、エネルギー獲得機能を保持していたと考えられる。この三つのエネルギー獲得手段は、現生生物のもっている手段と変わらない。
(1)発酵……無酸素状態で、有機物の分解によって生じるエネルギーを、生物(生体)の利用できる形で取り出す、物質代謝過程をいう。酸素を用いない解糖といってもいい。
代表的な生物をあげるならば、酵母菌(アルコール発酵)、乳酸菌(乳酸発酵)、酪酸菌(酪酸発酵)、大腸菌(混合酸発酵)などである。
(2)呼吸…… 酸素を用いる、あるいは用いないで、有機物の分解からエネルギーを取り出す物質代謝過程である。(イ)酸素を使って、有機物をCO2,H2O,NH3(アンモニア)など無機化合物にまで分解。生物(生体)の利用可能な形でエネルギーを取り出す。(ロ)酸素を使わずに、硝酸塩、硫酸塩により、有機物を無機化合物にまで分解。生物(生体)の利用可能な形でエネルギーを取り出す。ある種の嫌気性細菌が行う呼吸で、硝酸呼吸、硫酸呼吸とも呼ばれる。(ハ)酸素や硝酸塩、硫酸塩など使わずに、有機物から生じた化合物間の酸化、還元を利用、生物(生体)の利用可能な形でエネルギーを取り出す。硫黄細菌、硝化細菌、鉄細菌などの行う呼吸で、無酸素呼吸とも呼ばれる。
(3)光合成……生物が光のエネルギーを用いて、有機物を合成する物質代謝過程。H2Oを水素供与体として、CO2を還元して有機物を合成するものとH2S,H2S2O3,H2などを水素供与体として、CO2を還元して有機物を合成するものとに分かれる。
 (イ)H2Oを水素供与体とした場合……O2を発生する。
   CO2+2H2O→(CH2O)+O2
 (ロ)H2S,H2などを水素供与体とする場合……O2を発生しない。
   CO2+2H2S→(CH2O)+2S+H2O
   CO2+2H2→(CH2O)+H2O
 典型的には硫黄細菌(緑色硫黄細菌、紅色硫黄細菌)がこれを行う。また、緑色非硫黄細菌、紅色非硫黄細菌は、水素を用いないで有機化合物により光合成を行う。細菌の光合成では、簡単な無機質や有機物を脱水素すると同時に、酸素の還元が行われる。したがって酸素の発生を伴わない、といわれる所以である。


モクサイ通信№64(2004.06)
NO.64  2004.06.22
発行者 今関弘道
第64回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年5月21日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、土屋幸恵
  後藤 宏、実川嘉一
4、ふりかえり・おさらい
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「有子曰信近義言可復也(p72の2行目)~いつもそこなうことぞ(p74の17行目」(斎藤房一)
「子曰君子食無求飽云々(p74の18行目)~多は正に似たり(p76の5行目)」(柏木恒彦)
以上を終了させた。
(2)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
p53の10行目 洪氏:保留。
p56の3行目 游氏:保留。
p56の12行目 呉才:保留。
p57の2行目 毛ずい:保留。
p70の6行目 南朝の八達
(以上保留事項……63回まで)

p70の6行目 子桑伯子:「仲弓、子桑伯子を問う。子曰く、可なり、簡なり」(雍也篇)。不明。当時の政治家であろう(金谷 治)。
p72の4行目 人が御礼から申そうぞ:第三者が、言葉を聞く前に御礼を言うと、評するぞ。
p72の19行目 らいと:来いと。
p73の7行目 平ら様:ヒラサマは三種あり(広辞苑)。
p73の7行目 御成りで:(たとえば)殿様が立ち寄って。
p74の9行目 なぐる:手を抜く。
p74の10行目 ふいふいと:ぶいぶいと、おちつかないさま。
p74の20行目 ひだるい:ひもじい。
p75の1行目 栄耀:字の誤り。
p75の19行目 仁すり:すりはすれる。はずれる、へだたる。
p76の3行目 たかう:たがう。

漢詩
月下独酌(其の二)
天若し酒を愛せざれば
酒星天に在らず
地若し酒を愛せざれば
地応(まさに)酒泉無かるべし
天地既に酒を愛す
酒を愛するは天に愧(はじ)ず
           (李白)

モクサイ講義関連資料
「子曰く、述べて作らず、信じて古を好む」(述而篇)
「述はただ後世への伝達を意味し、作は創造であって、聖人のみに許されることである」(史記列伝、大史公自序第七十の注)
 oこの言葉は、歴史を踏まえる、歴史の創作はしない、六経をたずねて損益する、そして新しきを知る。あるいは博文約礼、広く書を読んで、それを礼の実践に活かしていく、そんなふうに理解すべきではないか。孔子の仁、礼、知という概念など見ても、実に創造的だと思うが……。朱子も同様。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
 成東町のホームページ、柏木さんに連絡があった。何ができるのかなあ、と思ったのだけれど、今日(6月22日)開いてみた。一方通行のお知らせ?!……投稿⇔返信という制度はない。これから仕組みを変えていけるのかしら。ただいまの所、感動的なものではないように思う。お役所仕事、当事者能力というのか、創造性に欠けるように思います。われわれ独自のホームページ作成という課題も含めて、しばらく様子を見るということでしょうか。

論語
「子曰く、聖と仁の若(ごと)きは、則ち豈に敢えてせんや。抑も(そもそも)これを為して厭わず、人を誨(おし)えて倦まずとは、則ち謂うべきのみ」(述而篇)
 聖とか仁などと謂うのは、私などとてものことだ。ただ、聖や仁への道を行って飽きることが無く、人を教えて怠らないということは、いってもらってもいい。
「子貢曰く、学んで厭わざるは智なり。教えて倦まざるは仁なり。仁且つ智なれば夫子は既に聖なり」(孟子、公孫丑上篇)

次回開催日程
1、日時 平成16年6月25日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、朱子論語集註(黙斎講義録) 
「子貢曰貧而(p74の6行目)~正を弁えぬからぞ(p78の14行目)」(今関弘道)
4、その他必要なこと
5、懇親会
 
自然誌ノート40億年~35億年前
原始細胞、真正細菌(細菌、バクテリア)という形態において進化を開始
マイコプラズマ・クラジミア・リケッチアの出現
ウイルスの出現
古細菌、真正細菌の系列より分岐
 「すべてに吹きわたる ささやかな春の息吹をたたえなさい 復活はいと小さなものにも訪れる 失われるのは ただかたちのみ 世代から世代へ 営々とのぼりつめ 無限の時の流れに 種は種を生んで 世界は沈み 世界は昇る! 春の畦道の花よ 命の喜びに目覚めなさい 永遠に善なものをたたえながら つかのまあることを楽しみなさい おまえもまた創造することで つましい貢ぎものを捧げなさい 小さくおずおずと でも力の限り息をなさい 永遠のこの日 胸いっぱいに」(ビョルンソン、賛歌) 
 原始細胞、真正細菌(細菌、バクテリア)という形態において進化を開始。当初の真正細菌は、硫黄化合物を水素供与体として炭酸ガスを還元、有機物を合成するところの酸素を発生しない光合成、あるいは酸素を必要としない硝酸呼吸ないしは硫酸呼吸、ないしは発酵によって、エネルギーを獲得していたと考えられる。別の角度からいえば、真正細菌の圧倒的部分が嫌気性細菌として存在していた。
*真正細菌……原核細胞よりなる単細胞生物。真正といった場合、本当のという意味合いがあるが、ここではひとまず、細菌、バクテリアとして理解しておく。細胞膜と細胞壁は持つが、核、葉緑体、ミトコンドリアなどの構造は持たない。真正細菌は、発酵、呼吸、光合成によるエネルギーの取り入れ方により、以下の分類が可能だろう。
 (1)発酵(酸素の発生はない)……嫌気性細菌
 (2)酸素を使って無機化合物を分解する呼吸……好気性細菌
 (3)酸素を使わずに硝酸塩、硫酸塩により有機物を分解する呼吸……嫌気性細菌
 (4)酸素や硝酸塩、硫酸塩を使わない呼吸……嫌気性細菌
 (5)酸素を発生する光合成……好気性細菌
 (6)酸素を発生しない光合成……嫌気性細菌
 マイコプラズマ・クラジミア・リケッチアの出現。マイコプラズマは大きさがウイルス並み、細胞壁を欠いている。クラジミアはウイルスより大きいが、リケッチアよりは小さい。細胞内でのみ増殖、DNAは有しており、他の細胞内あるいは核内でしか増殖できない。三者ともいわゆる原核細胞微生物であり、分類上では細菌に分けられているが、進化の上では細菌とウイルスの中間に位置するのではないかと考えられる。いつ出現したかは不明であるが、ここではウイルスと同じく、原核細胞と同時期、あるいは直後に出現したものとしておきたい。
ウイルスの出現。ウイルスについての筋道は立てづらいが、原核生物として進化をし、しかし真正細菌に寄生するようになり、その過程で自己増殖機能を喪失していったのではないか、そのように理解しておこう。
*ウイルスについて(1)
 ウイルスはベクター(遺伝子を運ぶ道具)である。遺伝子組み替えにおいては、ある特定の遺伝子を抱えたウイルスが、相手の生物の細胞内に入り込み、特定の遺伝子を相手の遺伝子まで運び込む、そこで組み替えが起きる。「人間のすい臓の細胞からインスリンをつくる遺伝子を取り出して大腸菌に組み込みます。そうすると、ウイルスが遺伝子を運び、大腸菌はインスリンを作り始めます。インスリンを作る設計図である遺伝子は、すい臓という工場でも、大腸菌という工場でも立派に機能するのです」(進化を楽しむ本、中原英臣、佐川俊)。ここではインスリンを作る遺伝子を抱えたウイルスが、大腸菌という原核細胞の中に入り込み、大腸菌の遺伝子(DNA)にインスリンの遺伝子を届け、結果としてインスリンの生産が行われる。
*ウイルスについて(2)
「(ウイルスは)、(1)細胞構造がない、原核生物、真核生物のように物質代謝を行うことができない、(2)しかし、細胞に寄生して自己増殖ができる。核酸(DNA,RNA)とタンパク質はもっている。宿主によって、細菌ウイルス、植物ウイルス、動物ウイルスに分類される。(3)ウイルスは生物と無生物の中間のような特徴を持つ。自己再生産の不完全さ、外界との区分の不明確さ。(4)ウイルスは無生物→ウイルス→原核生物という進化の経緯はなかっただろう。ウイルスは生物の細胞内でしか自己増殖をすることができない。だからウイルスの出現は、生物の出現を前提せざるを得ない。(5)ウイルスはかつて、原核生物として自己増殖していたが、他の生物の細胞内に寄生し、長い時間の経過の中で、物質代謝の機能を喪失したのではないか」(生物学、太田次郎)
*ウイルスについて(3)
 「ウイルスは生きている細胞内で増殖しているときは生物といえるが、細胞の外に出ると無生物になる」(ダルベッコ)
 古細菌、真正細菌の系列より分岐。古細菌(アーキバクテリア)は、後生細菌ともいう。当初最古のバクテリアという意味合いで命名されたが、その後の分子系統学の発達により、細菌の系統としては決して古いものではなく、むしろ新しい、真核生物に近いものであることが示された。第三の生物ともいわれ、古細菌を以て真核生物の起源とする説もある。
 分類的にいえば、原核生物は真正細菌と古細菌に大きく分類することができるだろう。メタン細菌、高度好塩菌、嫌気性好熱菌などが古細菌に属し、他のバクテリアが生存しづらい環境において生活している。
*細菌とは異なる塩基配列
「(古細菌である)メタン生成菌の細胞成分や核酸の塩基配列は、一般の細菌とは著しく相違し、進化の過程で大きくかけ離れたものと考えられる」(世界大百科事典)
*第三の生物
 「形態は原核細胞に近いが、遺伝物質の存在の仕方、成分などの性質が、原核生物と真核生物の中間になっている。第三の生物といわれることがある」(生物学、太田次郎)

つきよみの ひかりをまちてかえりませ
 やまじはくりの いがのしげきに
              (良寛)
月の光が明るくさすのを待ってお帰りなさい。山路はくりのいがが多くて危ないですから。
国上山五合庵を訪ねきた友に、少しでも長くひきとめようとしてよんだ歌という。「つきよみ」は月の異名。あいさつの歌だけれども、あたたかい心が込められている。


モクサイ通信№65(2004.07)
NO.65  2004.07.22
発行者 今関弘道
第65回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年6月25日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、後藤 宏
4、ふりかえり・おさらい
(1)朱子論語集註(黙斎講義録)
「子貢曰貧而(p74の6行目)~正を弁えぬからぞ(p78の14行目)」(今関弘道)
以上を終了させた。
(2)語釈
p8の3行目 諏訪辺文九郎:保留
P16の14行目 見蜚雁色不在:保留、出典があるのでは?
p30の14行目 河本仲遷:保留
p31の12行目 寺沢:保留
p42の14行目 剛中云:保留
p53の10行目 洪氏:保留。
p56の3行目 游氏:保留。
p56の12行目 呉才:保留。
p57の2行目 毛ずい:保留。
p70の6行目 南朝の八達
 
(以上保留事項……64回まで)
p76の7行目 かじけぬ:ちじこまらない。
p76の17行目 そけもの:削げもの、かわりもの。
p77の5行目 然るにから先は:読み。
p73の7行目 とび越したがる:読み。

漢詩
飲中八仙歌
知章の馬に騎るは舟に乗るに似たり 眼花み井に落ちて水底に眠る 
汝陽は三斗にして始めて天に朝し 道に麹車に逢えば口より涎を流す 恨むらくは封を移して酒泉に向かわざるを 
左相は日興 に方銭を費やし 飲むこと長鯨の百川を吸うが如し 杯を銜みて聖を楽しみ 賢を避くと称す
宗之は瀟灑 たる美少年 觴 を挙げ 白眼もて青天を望む 皎けきこと玉樹の風前に臨むが如し
蘇晋は長斎す 繍仏の前 酔中 往往にして逃禅を愛す
李白は一斗にして詩百篇 長安市上 酒家に眠る 天子呼び来るも舟に上らず 自ら称す臣は是れ酒中の仙なりと 
張旭は三杯にして草聖伝う 帽を脱し頂を露わす王公の前 毫を揮いて紙に落とせば雲烟の如し 
焦遂は五斗にして方に卓然たり 高談雄弁 四筵を驚かす
          (杜甫)
モクサイ講義関連資料
劉邦と陸生(1)
 陸生は説いた。「馬上で天下を取っても、馬上で天下を治められましょうか。湯王や武王は反逆の方法によって天下を取ったものの、順応の方法によってその天下が維持できたのではありませんか。文と武を併用するのが天下を長く保つ秘訣です。むかし呉王夫差や智伯は武力ばかり用いたために滅び、秦は刑罰ばかりを重視して改めず、結局趙氏(秦の王室)は滅びました。秦が天下を統一した後、もし仁義の道を実行し、古の聖天子を見習っていたとすれば、陛下がどうして天下をお取りになられたでしょうか」(史記列伝)。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
稲葉黙斎講義・朱子論語集註(序説および学而第一)読了
 冬至文講義の後、平成十四年五月三十一日~平成十六年六月二十五日まで、二年六ヶ月をかけて標記朱子論語集註を読了することができました。条件をすりあわせながら、お互いに頑張った賜物といえます。
 序説および学而第一にとどまったのは、モクサイの講義録が入手不可であったという事情によります。読了結果については、斎藤房一さんに於いて、取りまとめをすることとしました。請うご期待です。
 春秋時代の論語を、宋代の朱子がどのようにとらえたか、宋代の朱子を踏まえて江戸期末の黙斎が、論語をどのように解釈したか。一端だけでも知ることができたとすれば、われわれにとって大きな収穫だったと思います。

論語
「子曰く、甚だしいかな、吾が衰えたるや。久し、吾れ復た夢に周公を見ず」(述而篇)
周公=周公旦は武王の弟、武王無きあと、内乱を召公の協力を得ておさめ、第二代の成王にバトンタッチした。周王朝の制度=礼制は、周公の手になったといわれる。若いとき夢に見ていた孔子が、何故周公を夢に見なくなったのか。孔子が衰えたのか、それとも周公の礼制を越えて久しいときが流れているという、感慨なのか。

次回開催日程
1、日時 平成16年7月23日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、道学標的講義(稲葉黙斎) 
「道学標的序(p3の11行目)~道学というものではない(p18の1行目)」(柏木恒彦)
4、その他必要なこと
5、懇親会
 
自然誌ノート40億年~35億年前
生命の生息環境は深海・熱水域
原核生物の生息領域の拡大・進化の前進
酸素発生型光合成細菌は未だ出現せず
◇生命の生息環境は深海・熱水域……生命は嫌気性細菌、独立栄養型細菌として存在した。
 初期の生命(原核生物)は、海洋中央部の深海、中央海嶺の熱水域に生息していたと考えられる。この領域には光は届かず、酸素もなく、また有機物もなかったとすれば、生命の存在形態は嫌気性細菌、独立栄養型細菌ということになる。初期の生命は無機質の酸化・還元によってエネルギーを得ていた。「遺伝子の塩基配列に基づく地球生命の系統樹」(ラッカノ、テッター、生命と地球の歴史、岩波新書)での、太線部分は高度高熱細菌とされているが、真正細菌、古細菌に限らず、初期の原核細胞が高温水領域に生息していたことが示されている。
◇原核生物の生息領域の拡大、および進化の前進
 「太古代の地球生命は、中央海嶺付近を中心に紫外線が貫通するごく表層部を除いて、当時の海洋全域に広がっていった」(生命と地球の歴史、岩波新書)。生息領域が拡大されるということは、原核生物が多様な生息環境に規定されて、多様な自然淘汰に遭遇していくことでもある。原核生物は長い時間をかけて、すでに獲得していたであろう発酵、呼吸、光合成の機能を、生息する環境に合わせて進化させていったと考えられる。真正細菌としてスタートした原始細胞は、すでに古細菌を分枝させていたが、生息環境の拡大にしたがって、さらなる生命の多様な進化の準備段階を経過していたということでもある。
◇しかし、真正細菌、古細菌の進化が進んだとしても、この段階では酸素を発生する原核生物(酸素発生型光合成細菌)は、出現していなかったと考えられる。
*生物の共通の祖先である原始細胞に獲得された機能は、原始細胞が進化(分岐)を遂げる過程においても引き継がれ、環境変化に適応しつつ、あるいは自然淘汰において発揮され、いくつかの生物進化の系統を作り上げていっただろう。
*単細胞生物……ただ一個の細胞から構成される生物。細菌やラン藻などの原核生物と原生動物や下等な藻類からなる真核生物とがある。多細胞生物に比べて簡単で原始的な形態を示すが,消化,排出,運動などのために多様な細胞器官を分化するものもある。
*「ぼくたちは小さな生命体かも知れないけれど、大きな関連の中の大切な一部として、大きな何かの一端をになっているんだ。ぼくたちは命の惑星なんだよ、ソフィー、ぼくたちは宇宙で燃えている太陽をめぐって航行する舟なのだ。けれどもぼくたち一人ひとりも、遺伝子を乗せて生命の海を行く舟なのだ。この積み荷をつぎの港に運んだら、ぼくたちの生は無意味ではなかったことになる」(ヨースタイン・ゴルデル、ソフィーの世界)

やまかげの いはまをつたふこけみずの
 かすかにわれは すみわたるかも(良寛)
 山陰の岩の間を伝わって流れる苔水のように、ひっそりと私は住み続けていることだよ。
oこけみずは苔清水と同義、苔の間を伝 わって流れるわずかな清水。
oすみには「住み」と「澄み」がかかり、 「水」と「澄み」は縁語。
o俗世を離れて、ひっそりと暮らす、良寛 の姿が浮かんでくる。


モクサイ通信№66(2004.08)
NO.66  2004.08.17
発行者 今関弘道
第66回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年7月23日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、後藤 宏
4、ふりかえり・おさらい
(1)道学標的講義(稲葉黙斎)
「道学標的序(p3の11行目)~役に立つものではない(p12の10行目)」(柏木恒彦)
以上を終了させた。
(2)語釈
p5の4行目 我甘盤に学ぶ:保留
P5の10行目 堯舜三代:言い方の意味。
p7の17行目 年玉:保留
p12の8行目 許渤:保留
(以上保留事項……65回まで)

p3の1行目 庚戌:かのえいぬ、こうじゅつ。
p4の7行目 鞭策録の中に標的はあり、うちのことなり:読み。
p6の12行目 上りたのなり:上がった、上達した。
p7の13行目 恭惟千載心秋月照寒水:うやうやしくこれせんざいのこころ、しゅうげつかんすいをてらす。読み。
p11の5行目 おべにや:遊郭、色を売る店。

漢詩
戴老の酒店

戴老は黄泉の下にて 
なおさらに大春を醸すべし 
夜台には李白無きに 
何人に酒を売りあたえんとす
           (李白)
o戴老………戴老じいさん 
o大春………酒の銘 
o夜台………冥土

故事
「身体髪膚、これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(孝経)。
oわれわれの身体は、髪の毛から皮膚にいたるまで、すべて父母から受けたものだから、大事にしなくてはならない

モクサイ講義関連資料
劉邦と陸生(2)
 陸生はおりにふれて天子の前で詩経や書経を引用したり、ほめたたえたりした。高祖はそれに悪態をついた。おれさまは馬上で天下を取ったのだ。詩経や書経なんぞに用はないわい。高祖は不機嫌になったが、やがて恥じて、秦が天下を失ったわけ、わしが天下を取ったわけは何か、書きあらわしてくれるよう陸生に頼んだ。陸生は「新語」十二篇の書をあらわした。そのままではないが、「新語」は現在に伝えられている(史記列伝、注)。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
「道学標的講義」はじまる。柏木CD、威力発揮。
 現代の訓詁の学。朱子の宋学を大成したのも、それに先立つ積み重ねの学があったればこそ。余生は十二分に残している、いずれの日にか「恒ちゃん○○学」ともいうべきものを、世に問う日がやってくるだろう。僕らもそれぞれの立場で、頑張ることにしよう。

山口先生の「稲葉黙斎と孤松全稿」
 この本(冊子)は、モクサイ学の要点を、よく語っているように思う。黙斎の人となりも、平易な言葉で表現されている。山口先生の、モクサイ学に対する造詣の深さ、すぐれた見識を感じさせる。黙斎については、いくつか書物を見たけれど、先生の所論は要を得て簡、尽くされている。机の上に載せておいても邪魔にはならない。

論語
「子、匡(きょう)に畏(おそ)る。文王既に没したけれども、文茲(ここ)に在らずや。天の将に斯の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪(ほろ)ぼさざるや。匡人(きょうひと)斯れ予(われ)を如何」(述而篇)。

孔子の文化=礼に対する絶大な確信をみる。知は道案内、仁をベースにした礼の思想。しかし、「匡の難」に際して、孔子が天を謂わざるを得なかったところに、事態の深刻さを見ることができる。生命の危機に直面していたこともさることながら、仁に基づく礼という思想が、下克上の世の中に受け入れられるか。嘆きともとれる、そのような孔子の謂いであるようにも思う。

次回開催日程
1、日時 平成16年8月18日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、道学標的講義(稲葉黙斎) 
 「少し誠めいたことが有ても(p12の10行目)~進めるところまで」(斎藤房一)
4、その他必要なこと
 われわれのホームページ、どうするか。
5、懇親会
 

モクサイ通信№67(2004.09)
NO.67  2004.09.17
発行者 今関弘道
第67回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年8月18日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、斎藤房一、後藤 宏
4、ふりかえり・おさらい
(1)道学標的講義(稲葉黙斎)
「少し誠めいたことが有ても(p12の10行目)~道学と云うものではない(p18の1行目)」(斎藤房一)
以上を終了させた。
(2)語釈
p5の4行目 我甘盤に学ぶ:保留
P5の10行目 堯舜三代:言い方の意味。
p7の17行目 年玉:保留
p12の8行目 許渤:保留
(以上保留事項……66回まで)

p12の20行目 許魯斎?
p13の8行目 まずわの:まずは(こ)の。
p16の2行目 非を云わぬ:読み。
p16の4行目 親仁:おやじ。
p16の8行目 瞽叟:古代中国の舜帝の父の名。
p17の16 土金の伝:神道の書。

漢詩
江上吟
木蘭の 沙棠の舟 玉簫 金管 両頭に坐す美酒 樽中 千斛を置き 妓を載せ波に随って去留に任す 
仙人待つ有りて黄鶴に乗り 海客 心無くして白鴎に随う 
屈平の詩賦は日月に懸け 楚王の台 は空しく山丘 
興 酣 にして筆を落とせば 五嶽を揺るがし詩成って嘯傲 すれば 滄洲を凌ぐ 
功名 富貴 若し長 えに在らば 
漢水も亦応に西北に流るべし
                (李白)
o木蘭…木蘭の香木 o沙棠…崑崙山に生じる珍木、この木で船を造ると沈まず、実を食べると溺れない話が「山海経」にある o玉簫…玉で飾った簫 o金管…黄金で飾った横笛 o両頭に…両側に o千斛…一斛は十斗 
o去留…去るも留まるも o屈平の詩賦は日月に懸け…「日月と争うと雖も可なり」(史記、屈原伝) o台 …台の上に立てられた楼閣 o五嶽…東の泰山、西の華山、南の衡山、北の恒山、中央の嵩山 o嘯傲…束縛から解放された気持ちを表す言葉 o滄洲…仙人のいる島、不老不死の楽園

モクサイ講義関連資料
荀子、揚子に対する宋学からの批判
 「荀子は才高くして、その過ち多し。揚雄は才短くして、その過ち少なし」(近思録、観聖賢篇、第五条)。
o「天人分離、性悪を説き、子思・孟子を批判し、門下に李斯・韓非が出たので、宋儒には容れられなかった」(注、山崎道夫監修)
「只だ一句の性悪、大本已に失す」(近思録、観聖賢篇、第六条)
「董仲舒の如き、最も聖賢の意を得。然れども道を見ること甚だしく分明ならず、これを下りては揚雄に至る」(近思録、観聖賢篇、第八条)
「(揚雄は)性は善悪に混ず」(近思録、法言修身篇)。
*前漢の学者。成都の人。博聞多識、易に擬して「太玄経」を作り、論語に擬して「法言」を作り、また「訓纂」「州箴」を擬作したので、模擬の雄と称せられた。ほかに「揚子方言」「反離騒」「甘泉賦」などがある。揚子。(前53~降18)

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
 モクサイを語る会は六年目に入っている。冬至文、朱子論語集註講義とやってきて、今また道学標的。はっきりはしないのだけれど、転機にかかっているように思う。関心の所在によってまちまちであるとはいえ、道学とはどういうものであるか、道学の中で何をすることができるのか、おぼろげながら分かってきたこと。メンバーに即して言えば、固定化してきたこと、現在のやり方では輪を広げていくことが、難しくなっていること、視角を変えて別のやり方を探さねばならないだろう事。モクサイについていえば、CD化がはかられ、読み下しにそれほど労力を割かなくてもよくなってきたこと、換言すれば読み下しを踏まえて、儒学の世界をより広く、より深くつかみ取る契機的な地点にさしかかっていること。モクサイを語る会のホームページが実現しそうなこと、それを支えるモクサイへの蓄積は、これまでの取り組みの中で、作り出されているだろう事。以上、思いつくまま書き連ねてみたけれど、語る会の活動はより開かれたものになっていくであろうし、ならざるを得ないだろう。それへの対応が迫られていることと同時に、新しい活動の展開を支えるメンバーの結束と取り組みの蓄積が、従前にもまして必要になってくるように思う。

論語
 「名正しからざれば則ち言順(したが)わず、言順わざれば事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於いて、苟もする所なきのみ」(子路篇)
 必ずや名を正さんか、孔子の正名論は、子路との問答の中にある。名を正すとは、社会の実態にあった、概念の構築である。氏族共同体の解体期をむかえて、上部構造である礼楽はゆらぎにゆらいでいる。身分制度も然り、刑罰体系も然り、昨日の君臣の関係は、今日の君臣の関係ではあり得ない。激しい階層間変動の中から、士という新たな階層が出現し、自らの才能を頼りに中原諸国をわがもの顔に徘徊している。手足をおくところのない庶人がちまたにあふれ、政を恨む声は天下に満ちている。

次回開催日程
1、日時 平成16年9月24日(金)
     6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、道学標的講義(稲葉黙斎) 
 「道学標的(p18の2行目)~ゆかねばならぬことなり(p24の5行目)」(後藤 宏)
4、モクサイ記念行事への対応(11月23日午後、および講演依頼。)
5、ホームページのあれこれについて
6、懇親会
 

モクサイ通信№68(2004.10)
NO.68  2004.10.21
発行者 今関弘道
第68回モクサイを語る会まとめ
(1)道学標的講義(稲葉黙斎)
「道学標的(p18の2行目)~ゆかねばならぬことなり(p24の5行目)」(後藤 宏)
以上を終了させた。
(2)語釈
p5の4行目 我甘盤に学ぶ:保留
P5の10行目 堯舜三代:堯舜の時代と夏(禹)・殷(湯)・周(武)の三代。
p7の17行目 年玉:保留
p12の8行目 許渤:保留
p12の20行目 許魯斎?
(以上保留事項……67回まで)
(1)道学標的講義(稲葉黙斎)
「道学標的(p18の2行目)~ゆかねばならぬことなり(p24の5行目)」(後藤 宏)
以上を終了させた。
(2)語釈
p5の4行目 我甘盤に学ぶ:保留
P5の10行目 堯舜三代:堯舜の時代と夏(禹)・殷(湯)・周(武)の三代。
p7の17行目 年玉:保留
p12の8行目 許渤:保留
p12の20行目 許魯斎?
(以上保留事項……67回まで)

p18の9行目 鑿説:さくせつ。うがった説。
p18の16行目 親炙:[孟子尽心下]親しくその人に接して感化を受けること。。
p18の20行目 前漢後漢:漢書(班固、班昭)および後漢書(范曄 はんよう)。
p19の16行目 忠信:忠信という概念は、朱子学においては気であるのか。
p20の7行目 作り取り:年貢を納めず、耕作した所の全収穫をわが物とすること。
p20の8行目 迂偽をはき:うそをはき。読み。
p21の10行目 言うは易く行うは難し:[塩鉄論利議]口で言うだけなら誰にでもできるが、それを実行するのはむずかしい。 

漢詩
山行
遠く寒山に上れば石径斜なり
白雲生ずる處人家有り
車を停(とどめ)て坐(そぞろ)に愛す楓林の晩(くれ)
霜葉は於二月の花よりも紅なり
               (杜牧)
o晩唐詩
o寒山……もの淋しい山
o二月の花……春の花、桃の花などをいう。

江雪
千山鳥飛ぶこと絶え
萬径人○(じんしょう)滅す
孤舟蓑笠(さりゅう)の翁
独り寒江の雪に釣る
              (柳宗元)
o中唐詩
o人○(じんしょう)……人通りが全くとだえて。
モクサイ講義関連資料
荀子の人相見について
「人の姿や顔かたちなどでその人の運勢を占っては、その吉凶禍福を予言した。世間ではそれをたたえてよく口にするが、昔の人はそのようなことがあったともいわないし、学問にたずさわる者もそれに言及しない。だから、姿で人の運勢を占うよりは、心ばえを考量した方がまさっているし、心ばえを考量するよりは、行為の拠りどころによって判断した方がまさっている」(荀子、非相篇、沢田多喜男・小野四平訳)。
「孔子の姿は、その顔が鬼やらいの仮面にそっくりであった。周公の姿は枯木が折れたような体つきのせむしであった。舜の賢臣である皐陶(こうとう)の姿は、顔色がひきさいた瓜のように青白かった。周の文王の賢臣である○夭(こうよう)の姿は、顔がひげでおおわれていて肌が見えなかった。殷の高宗の賢臣である傅説(ふえつ)の姿は、体つきが背びれの立った魚のようにせむしであった。殷の湯王の賢臣である伊尹の姿は、顔にひげも眉もなかった。禹王はびっこであり、湯王は半身不随であり、堯帝と舜帝には三つの瞳があった」(同上)

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
「黙斎を語る会のホームページ」が立ち上がった。講学鞭策録、排釈録、鬼神集説、道学標的、冬至文、近思録の原文、読み下し文、通釈、語釈、解説が掲載されており、遠からず朱子論語集註も載せられるだろう。この他に、黙斎の紹介、語る会の紹介もある。会員の寄稿としては、山口先生の稲葉黙斎と孤松全稿、それに清名幸谷鵜澤家系図、上総道学系譜図も載っている。当初よりこのような内容で、稲葉黙斎を公開できたことは、われわれ六年におよぶ取り組みの成果として、自らを誇ってよいと思う。今後語る会のホームページをどう充実させていくか、掲載されている黙斎の講義録を踏まえて、まずはわれわれが頑張らねばならないだろうし、また輪を広げる努力をしていかねばならないだろうと思う。

論語
「子曰く、如(も)し王者あらば、必ず世にして後に仁ならん」(論語、子路篇、金谷 治訳)。もし王者が出現しても、このような乱世では、きっと一代、三十年を経てから、はじめて仁の世界になるのだろう。
 王者とは孔子の待望した聖王・聖人であり、仁の世界とは、まごころとか思いやりといった、人と人との関係をベースとして、社会の秩序が保たれている世界と解される。
 春秋から戦国へかけての社会的変動が、いかに激烈なものであったか。聖王・聖人の出現をもってしても、なかなかに治めることができない。春秋の初期には140余国といわれた諸侯も、今では12ヵ国の諸侯に絞られ、生き残った孔子の生国、周公旦を始祖とする魯の国も、君主の権威は地に落ちて久しく、季孫氏、孟孫氏、叔孫氏の三桓が国政を壟断、うち最も強力とされた季孫氏では、陪臣の陽虎が権力をわがものとしていた。弱肉強食、下克上。天子・諸侯・大夫・士・庶人・奴隷とつらなる、三代の身分制度は大きくゆらいでいた。

次回開催日程
1、日時 平成16年10月22日(金) 6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、道学標的講義(稲葉黙斎) 
 「又日朝聞道(p24の6行目)~悟道はめったにならぬことなり(p28の14行目)」(後藤 宏)
 「標的の并べよう(p28の15行目)~異国人をばほんそうする(p32の15行目)」(柏木恒彦)
4、モクサイ記念行事について
5、ホームページについて
6、懇親会
 

モクサイ通信№69(2004.11)
NO.69  2004.11.15
第69回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年10月22日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、後藤 宏
4、ふりかえり・おさらい
(1)道学標的講義(稲葉黙斎)
「又日朝聞道(p24の6行目)~悟道はめったにならぬことなり(p28の14行目)」(後藤 宏)
以上を終了させた。
(2)語釈
p5の4行目 我甘盤に学ぶ:保留
P5の10行目 堯舜三代:堯舜の時代と夏(禹)・殷(湯)・周(武)の三代。
p7の17行目 年玉:保留
p12の8行目 許渤:保留
p12の20行目 許魯斎?
(以上保留事項……68回まで)

p25の7行目 聞いたを:読み。
p25の7行目 ちゃくちゃくする:正統な、嫡々として伝わる。
p25の19行目 方組:処方、正しいやり方。
p26の17行目 稷(しょく):[書経舜典](「后」は君、「稷」は五穀の意) 古代中国伝説上の農事をつかさどる長官(広辞苑)。
 周の始祖と伝えられる伝説上の人。母姜原が巨人の足跡を踏んで妊娠し、生れるとすぐに棄てら
れたことから、棄と名づけられた。のち農耕に貢献。帝尭に挙用されて農師となり、舜の世に后稷の官についた。武王はその16世の孫と伝える(広辞苑)。
p26の17行目 孔子在焉:顔子は孔子の在るをもってよしとしたという意。
p29の7行目 信は知のぎりぎり、知は知恵、信は行と見たがるがそうではない:儒学における信・知・行という概念の位置づけ。宋学の理気論からいうとどういうことになるのか。孔子はこれらの概念をどのように位置づけていたか、という問題が有るように思う。
 
漢詩
勧学
盛年 重ねて来らず
一日 再び 晨(あした)なり難し
時に及びて当(まさ)に 勉励すべし
歳月は 人を待たず
        (陶淵明)
*陶淵明は六朝時代の東晋の詩人。名は潜または淵明江西の人。下級貴族の家に生れ、不遇な官途に見切りをつけ、41歳のとき彭沢県令を最後に、「帰去来辞」を賦して故郷の田園に隠棲。平易な語で田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開き、唐に至って王維・孟浩然など多くの追随者が輩出。散文作「五柳先生伝」「桃花源記」など。(365~427)。以上広辞苑より。

モクサイ講義関連資料
崎門学派の道統について
 「崎門において注目すべきところは道統の異様な持続である。この思想は、古学により徹底的に批判されるが消滅したわけではない。しかも江戸時代で終わることなく、明治以降さらには昭和に至るまで何らかのかたちで機能しつづけた。たとえば三宅尚斎の系譜は、九州の楠本端山(1828~83)・碩水(1832~1916)に受け継がれて、戦後につづく。端山の孫にあたる楠本正継(1896~1963)は九州大学文学部中国哲学史初代教授となるが、道統はこのようにして伝えられた。
 この系譜と並ぶものとしては上総道学がある。佐藤直方の道統は稲葉迂斎・黙斎親子を経て上総の農民に定着し、やはり戦後につづく。そしてこの終焉は、池上幸二郎(1908~1985)・梅沢芳男(1909~1985)の死であったと考えられている。いずれにせよ崎門の道統は、確実に昭和六〇年代までは存在した」(高島元洋、東アジアにおける儒教思想の倫理思想史的研究、研究成果報告書)。

懇親
よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
 今回は柏木さん、後藤さん、僕の三人。文殊の知恵と言うから、詰めた話が出来たのでしょう。負け惜しみと言うことでもない。黙斎を語る会のホームページが立ち上がっており、柏木さんの話では200人もの人が見に来てくれたとのこと。これからが楽しみだ。とはいえここで極楽とんぼを決め込んでしまうわけにも行かない。まずは書き手の問題がある。面白いレポートが載れば見に来る人も増えるだろうし、冬至文を始めとする黙斎の講義録活用の道も開けていくだろうし、新たな展望にもつながっていくだろう。しかし、その逆も成り立つ。努力するものは幸いなれ、われわれのホームページを潤いのあるものにしていこうという観点から、われわれの中でレポート課題を決めて、必要なら論議して、順次掲載していくというのも、一つの方法かとも思う。もちろん、基本的には課会をしっかりやっていくことだと思うけれど…。

俳句・短歌
 田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高 嶺に雪は降りける(山部赤人)
 田子の浦を通って視界の開けた所へ出てみる  と、真っ白に富士の高嶺に雪が積もっている  よ。
*山部赤人(やまべ‐の‐あかひと)
 奈良初期の万葉歌人。三十六歌仙の一。古来、柿本人麻呂とともに歌聖と称。下級官吏として宮廷に仕えていたらしく、行幸供奉の作が多い。優美・清澄な自然を詠んだ代表的自然詩人。「田児の浦ゆ」の歌は有名。作歌年次736年(天平8)まで。後世、「山辺赤人」とも書く(広辞苑)。
 万葉集の代表的歌人。生没年不詳。下級官人だったと思われる。聖武天皇の吉野その他への行幸に従駕した際の歌が多く,柿本人麻呂を継承する宮廷歌人として活動したらしい。万葉集に長歌13首,短歌38首があるが,とくに旅中の自然を詠んだ叙景歌によって高く評価され,柿本人麻呂とともに二大歌聖として仰がれた(マイペディア)。

次回開催日程
1、日時 平成16年11月26日(金) 6:30
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、道学標的講義(稲葉黙斎)  
 「標的の并べよう(p28の15行目)~異国人をばほんそうする(p32の15行目)」(柏木恒彦)
4、ホームページについて・その他
6、懇親会
 

モクサイ通信№70(2004.12)
NO.70  2004.12.13
第70回モクサイを語る会まとめ
1、日時 平成16年11月26日(金)
     6:30
2、場所 川和伊
    富里町七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、出席
  柏木恒彦、今関弘道、後藤 宏、斎藤房一
4、ふりかえり・おさらい
(1)道学標的講義(稲葉黙斎)
「標的の并べよう(p28の15行目)~異国人をばほんそうする(p32の15行目)」(柏木恒彦)
以上を終了させた。
(2)語釈
p5の4行目 我甘盤に学ぶ:保留
P5の10行目 堯舜三代:堯舜の時代と夏(禹)・殷(湯)・周(武)の三代。
p7の17行目 年玉:保留
p12の8行目 許渤:保留
p12の20行目 許魯斎?
(以上保留事項……69回まで)

p28の19行目 ただおれば:ただ俺はと読む。
p29の3行目 無せうに:無性に、やたらに。
p29の4行目 とらほどな:どれほどな。
p29の10行目 全ひ:まったい、完全な。
p29の11行目 忠信:忠信を気質としてとらえるか。孔子と朱子のとらえ方の差異があるのでは。孔子にとっては、忠信は仁の下位概念としてあったのではないか。
p30の3行目 二十一史:中国の正史。
p30の3行目 十三経:宋代に確定した十三の経書。
p31の5行目 向う所:標的。
p32の13行目 予謂:筆者。
p32の15行目 先生:黙斎。
漢詩
半夜(はんや)
首(こうべ)を回(めぐ)らせば五十有余年
人間(じんかん)の是非は一夢(いちむ)の中(うち)
山房(さんぼう) 五月 黄梅(こうばい)の雨
半夜 蕭蕭として虚窓(きょそう)に灑(そそ)ぐ
          (良寛)
*良寛 江戸後期の禅僧・歌人。号は大愚。越後の人。諸国を行脚の後、帰郷して国上山(くがみやま)の五合庵などに住し、村童を友とする脱俗生活を送る。書・漢詩・和歌にすぐれた。弟子貞心尼編の歌集「蓮(はちす)の露」などがある。(1758~1831)
モクサイ講義関連資料
三十歳前後の稲葉黙斎
「先君子下世の後、放蕩不軌、日暮に花街柳巷に於てし、醜声家学に及び、同門多く絶交す。爾後、三十余年、老いて東浜に匿れ、世に知る者無きこと殆ど十有余年なり」(雪梅草,黙斎)。

 『雪梅草』は寛政八(1796)年の雑記で、黙斎六十五歳の作である。「先君子下世の後」だでは父を亡くした後というだけで何年ころのことか確定できないが、「爾後三十余年」とあって、六十五歳の当時から三十年あまり前のことであることがわかる。つまり、父を喪った二十九歳から三十二、三歳のくらいまで、黙斎は「放蕩不軌、日暮に花街柳巷に於てし、醜声家学に及び、同門多く絶交す」という放逸な生活をやっていたのである(大久保紀子、『處士越復傳』解題より)。

三十歳前後の稲葉黙斎
「先君子下世の後、放蕩不軌、日暮に花街柳巷に於てし、醜声家学に及び、同門多く絶交す。爾後、三十余年、老いて東浜に匿れ、世に知る者無きこと殆ど十有余年なり」(雪梅草,黙斎)。

懇親よく遊びよく学ぶ
過ぎたるはなお及ばざるが如し
本年を振り返って、モクサイを語る会の到達地点は、おおよそ次のようにいうことが出来ると思う。
(1)われわれの課会、頑張って六年目、少なくても上総にかかわっては、道学を語り合う会としての席を確保したように思う。山口先生が側面から支えてくれたこともさることながら、冬至文から始まって朱子論語集註、道学標的と地道に取り組んできたこと、さらには講学鞭策録、排釈録、鬼神集説にまでも射程におさめたということがある。
(2)「黙斎を語る会のホームページ」を立ち上げたこと。このことの意義には大きなものがあるように思う。すでにホームページを訪れたものは400件にも及んでいる。われわれの試みが、上総全域および全国ネットで結ばれ、その輪はさらに大きくなっていくことだろう。時間の経過を待ってみる必要はあるけれども、われわれの課会も専門性を深めると共に、多様な対応が必要とされてくるように思われる。
(3)モクサイを語る会のこれからの課題をいうならば、先に挙げた黙斎講義録を着実にこなしていくこととあわせ、これを金科玉条とせずに、時代の知的欲求という観点に立って、会員相互の課題の所在を明確にし、ネットワークを通じて、さらに課題の共有化をはかっていくことが肝要と思われる。
俳句・短歌
武庫(むこ)の浦を漕ぎ廻(み)る小舟(おぶね)粟島(あわしま)を
背向(そがひ)に見つつ羨(とも)しき小舟
              (山部赤人)
 武庫の浦を漕ぎめぐる小舟よ。妻に逢うという名の粟島を後ろに見ながら漕いでゆく、うらやましい小舟よ。
*武庫の浦は、現在の尼崎市から西宮市にかけての海岸。粟島の「あは」に「逢は」をかける。「羨し」は心ひかれる、うらやましいの意。うらやましいのは、小舟が都へ帰っていくからであろう。望郷の思いを絵画的構成で詠んでいる。
次回開催日程
1、日時 平成16年12月18日(金) 4:00
2、場所
    川和井 富里市七栄646-82
    電話 0476-92-8838
3、道学標的講義(稲葉黙斎)  
 「大学曰大学の道(p32の16行目)~ここがべったりと太極なり(p41の10行目)」(斎藤房一)
4、この一年を振り返って
6、懇親会(忘年会)