河と言えば黄河を、江と言えば長江を意味する。青蔵高原の長江は、まさしく濫觴、さかずきを浮かべるほどの小さな流れは、やがて横断山脈にかけて山岳を削り取り、雅礱江、大渡河、岷江、嘉陵江、烏江の大河を会わせ、中流域では洞庭湖に入って、漢水、澧水(れいすい)、沅江(げんこう)、資水、湘江をおさめ、鄱陽湖に入っては、修水、贛水(かんすい)、撫河、信江の支流をおさめる。下流域に入って長江は、蘇晥平原をゆったりと流れ、長江デルタの東端において万里の波濤、東海と合する。流域面積は180万平方㎞、流域人口は、35500万人を数える。

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管理者 今関弘道

不尽(ふじん)の長江
滾滾(こんこん)として来る


1、飛流直下三千尺、横断山脈をなだれ落ちる

(1)濫觴(らんしょう)は青蔵高原北東部に
(2)タングラ山脈、ゴラタントン雪山、チヤンゲンディル氷河の北麓より発す
(3)沱沱(とと)河から通天河、そして金沙江へ
(4)横断山脈の間、3000mの落差を流下、アジアの大河、金沙江、ガロウ江、瀾滄江、怒江
(5)チベットと横断山脈、世界に類例のない地形
(6)横断山脈とは何、雲南は生きている
(7) インド亜大陸とバイカル地溝帯


【2】地球上の大きな拡大・分裂地域、熱いマントルの上昇地域
№3
2006.03
今関弘道
(1)タングラ、ニエンチェンタングラの東端よりなだれ落ちる
(2)断層・陥没地帯を割って流れる
(3)兄弟のようにして流れ下る東アジアの大河
  雅?江・大渡河・岷江は金沙江に合流する
(4) 押し上げの力と分裂拡大する力のはざまで
  長江、別の水系とのドッキングという考え方
(5)ややこしい黄河の流路
 一筋縄ではいかない

【附】5000キロの旅路の果て、いまなお動く雲南・貴州の大地
№4
2006.04
今関弘道
(1)桂林・石林はテチス海の底だった
(2)赤い河、赤い土、赤い崖


不尽(ふじん)の長江
滾滾(こんこん)として来る


1, 飛流直下三千尺、横断山脈をなだれ落ちる

(1)濫觴(らんしょう)は青蔵高原北東部に
長い時の流れの中を、長江は東アジアの地塊を、はじめは東西に割り、後には南北に割って流れ続ける。長江は中国第一の大河であり、古くは江と呼ばれ、一般的には長江ないし大江と呼ばれる。揚子江とは、河口に近い揚州から下流にかけての局地的名称で、正式な名称は、長江、大江、ないし江である。
長江の濫觴(らんしょう)は、青蔵高原北東部にある。青蔵高原は、中国西部から南西部にかけて広がる、世界で最も標高が高く最も面積の広い高原として知られる。チベット自治区、青海省、四川省西部、甘粛省南西部を含み、面積は約230万平方㎞(日本列島の面積の6倍)、標高3000~5000mにおよぶ。周囲をヒマラヤ山脈、崑崙(こんろん)山脈、祁連(きれん)山脈、横断山脈に囲まれ、長江および黄河、メコン川、イラワジ川、サルウィン川などアジアの主だった河川の源流域としても知られる。長江の全長は6380㎞、ナイル川、アマゾン川、ミシシッピ川に次いで世界第4位を誇る。日本列島は北から南まで、すっぽりと長江の中に収まっておつりがくる。流域面積は185万平方㎞、中国の総面積の5分の1におよぶ。流域内人口3億5500万人、漢族、チベット族、イ族、ナシ族、ミャオ族、トゥー族などが住む。長江流域は、黄河流域と同様に、文明の揺りかごでもあった。黄河と長江を抜きにして、中国大陸の自然と歴史・文化を語ることは恐らく出来ない。
青蔵高原に流れを発した長江は、沱沱(トト)河、通天河、金沙江と名前を変えながら、バヤンカラ(巴顔喀拉)山脈の西縁を走り、怒江、瀾滄江、ガロウ江などとともに、いわゆる横断山脈をなだれ落ちる。
アジア大陸の大きな山脈は、大体において東西方向に延びている。アルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈、ヒマラヤ山脈などおしなべてそうである。しかし、横断山脈は南北方向をもっている山脈群である。これは一体どうしたことか、ここであれこれ言う準備はないのだけれども、長江のもつジオ・ポエムの一端を物語っているように思う。
四川省の西部をかすめて南流、雲南省に入った長江は、3000mの落差をためて横断山脈に深い峡谷を刻み込む。峻険な山岳から支流を集めて後、石鼓で180度転回、湾曲を繰り返しながら、雲南と四川の境界で大支流ガロウ江をおさめて後、渡口ないし麗江のあたりから、さしあたり三峡を目指して北東流を開始する。
四川省宜賓(ぎひん)で大渡河と岷江をあわせ、重慶で嘉陵江をあわせ、さらにその先で烏江をあわせて三峡の険。古来よりの航行の難所、瞿塘(くとう)峡・巫(ふ)峡・西陵峡を過ぎてからは、江漢平原をゆったりと流れて洞庭湖にはいる。ここで?江、資水、湘江などを呑み込み、武漢では秦嶺山脈から流下してきた漢水をおさめる。?陽湖に入っては、修水、?水、撫河、信江を呑み込み、湖北を横断して後、江西、安徽、江蘇を抜けて東海、すなわち東シナ海に注ぎ入る。年間の総流量は、中国の河川総てを合わせたものの三八%にのぼる。なお、長江水系は、北はバヤンカラ(巴顔喀拉)山脈、秦嶺山脈、伏牛山脈、大別山脈によって黄河、淮河水系と分水し、南は南嶺山脈、貴州中部高原、武夷山脈、天目山脈によって珠江、浙江、福建水系と分かたれる

(2)タングラ山脈、ゴラタントン雪山、チヤンゲンディル氷河の北麓より発す
長江の上流は、源流から湖北省宜昌までの4529㎞であり、これは長江全長の七二%にあたる。この間長江は、沱沱(とと)河、通天河、金沙江と名前を変え、宜賓からは狭義の意味での長江となる。長江の源流は、青蔵高原を貫く崑崙山脈(支脈としてのバヤンカラ山脈、アムネマチン山脈など)とタングラ(唐古拉)山脈の間にある。二つの山脈からは、「チュマル」(楚瑪爾河)、「トト」(沱沱河)、「ダムチュー」(当曲)、「ブチュー」(布曲)「ガルチュー」(朶爾曲)などの河川が流れ下っている。長江の河源は何処にあるのか、長江流域企画事務所は1976年源流地域を調査し、支流の最長を源とするという原則に基づいて、沱沱河(トト河)を長江の源流に定めている。
 トト河の源は、バヤンカラ(巴顔喀拉)山脈の南、タングラ(唐古拉)山脈の主峰ゴラタントン(各拉丹冬)雪山(6621m)の西南部、チャンゲンデイル(姜根迪如)氷河(6548m)にある。周囲には海抜6000m級の雪山が二十峰も林立しており、この雪山群は厚い氷河に閉ざされている。
春から夏にかけての融雪期、チャンゲンデイル雪山の山麓は目を覚ます。雪や氷の解けた細い流れが、礫でおおわれた高原を縦横に走り、沱沱河をつくりあげていく。青くかがやくチャンゲンデイル氷河、澄んだ空、クモの糸を引くように流れる絹雲、源流の風景は静寂そのもの、ただ水音だけが聞こえてくる。
 黄河の源流マチューは、草原より流れ出した。沱沱河の源流は、チャンゲンデイル氷河から続いている、茶褐色の礫原である。細流は礫の平原を網の目のように流れ、幾筋かの束となり、山麓の草原へと流れ下っていく。バヤンカラ山脈とタングラ山脈の間に開けた広大な草原、ここは豊かな水に恵まれて、遊牧民族の昔ながらの天地だ。草原には、小さな湖沼が無数に散らばり、雲と空を映している。湖沼の上に草原が浮かんでいるといってもいい。チベット族の旅人が、白い馬に乗って、草原を横切っていく。青蔵高原の日は長く、午後の十時頃にならないと日が落ちない。時は緩やかに流れていく。
 青く澄んだ流れ。細流の束は、やがて一筋の帯となり、さらにバヤンカラ山脈とタングラ山脈の水を集めて、東に向かって流下する。両岸には、黒い色をしたヤクが、ゆったりと草をはむ。ヤクを追うチベットの男たち、広い草原では、芥子(けし)粒のように見える。草原と空の間には、紫色にかすんだ山並みが続いている。
 繁殖期を迎えて、オオヤマネコ、白唇(くちじろ)鹿、チベットナキウサギ、ユキヒョウ、などの野生の動物たちも姿を見せる。雪と氷に閉ざされた長い冬を抜け出して、すべてのものが息づく沱沱河最上流域の短い夏の風景である。

(3)沱沱(とと)河から通天河、そして金沙江へ
西から流れてくる沱沱河は、ブチュー(布曲)、ガルチュー(朶爾曲)をあわせ、同じくタングラ山脈から出てくるダムチュー(当曲)をあわせた地点、ナンバンパーロン(嚢板巴隴)で「通天河」と名前を変える。通天河は東流して、崑崙山脈に続くバヤンカラ(巴顔喀拉)山脈から流れ出てくるチュマルチュ(楚瑪爾曲)をあわせ、水量を増しながら南流を開始する。青海省玉樹県付近の巴塘河口まで813㎞の間、幾筋もの束となり、あるいは一筋の帯となり、どちらかといえばバヤンカラ山脈の西縁を、ガロウ江と並行して流れ下る。いくつもの峡谷を穿ち、深い谷底を矢のように下る、清冽な青い流れは、まさに天に通じる観を呈する。
 通天河は、二つの大きな山脈の間を流れる中で、広大な草原をも形成する。河畔には、チベット族や蒙古族の遊牧テントが点在し、男たちの、朝早くから晩遅くまで、羊の群を追う光景が見られる。新中国になって、通天河の流域は、重要な牧畜地区として位置づけられている。
 通天河が金沙江にバトンタッチするのは、青海省とチベット自治区、四川省の境に位置する玉樹付近の巴塘河口からである。玉樹は黄河上流の達日(ダーリ)と並んで、麝香(じゃこう),鹿茸(ろくじょう),雪連花、大黄、羌活、冬虫夏草、柴胡など百余種、生薬の一大産地だ。またここには、文成公主の廟がある。青蔵高原の東部においては、ソンツェン・ガンポと文成公主の物語は欠かすことが出来ない。
ソンツェン・ガンポとは、チベット最初の統一的王朝の創始者である。彼はラサに都し,中国およびネパールから妃を迎え,仏教や文字その他の文化を摂取して,国の基礎を固めたとされる。文成公主は、チベット王に嫁した唐の皇女である。旧唐書(吐蕃伝)には、次のような記述がある。「公主が吐蕃人らが赭面するのを嫌ったので、ソンツェンは国中に令して、仮にしばらくこれを止めさせた。また自らフェルトの衣服を脱ぎ、絹布の服を着、しだいに中国の風俗を慕うようになった。そうして酋長・豪族の子弟を中国に送って、国学に入れ、詩書を習わせることを願った。またその文書を司らせるために、中国の文字をよく知っている者を遣わされるように(唐)に請うた」。彼女は、両国の平和のために尽くし、仏教をチベットのもたらしたのも公主であるといわれ、今でも菩薩の生まれ変わりとして、チベットの人たちの尊崇を集めている。

(4) 横断山脈の間、3000mの落差を流下する
 アジアの大河、金沙江、ガロウ江、瀾滄江、怒江
巴塘河口から、四川省宜賓市までの全長2308㎞は「金沙江」と呼ばれる。金沙江は、四川、雲南両省西部とチベット自治区東部にかけて、南北に走る一連の大山系、横断山脈に沿って大きく流下する。まさに、天から大河がなだれ落ちて来るかの観を呈する。
横断山脈は独立した山系ではなく、西から東へと色隆拉嶺(南部は高黎貢山)、梅里雪山、怒山、寧静山(南部は雲嶺)、沙魯里(さろり)山、大雪山脈などが平行して南北に走っているさまをいう。これらの山系の間を金沙江をはじめとして、ガロウ江、怒(ど)江、瀾滄(らんそう)江が並行して北から南に走り、高度差1000~3000mの世界有数の深い峡谷を形作る。横断山脈とは、高い山岳とその間を流れる深い峡谷が、東西の交通を遮断していることから、名づけられたものである。なお、怒江はサルウィン川の上流、瀾滄江はメコン川の上流で、いずれもアジアの大河、そのままインドシナ半島を割って南流を続ける。ガロウ江は金沙江の東側を流れ、やがて二つの大河は合流する。
 横断山脈中、四川省西部にある大雪山脈は、ガロウ江と大渡河の分水嶺をなし、ミニヤ・コンカ(7556m)は、横断山脈全体の最高峰をなしている。また、雲南省の最高峰である梅里雪山(6740m)は、チベット語でカカルポといい、白い山を意味する。青蔵高原西部のカイラス山と同様、ラマ教の聖地とされ、毎年多くの人々がこの山を一周する巡礼に訪れる。
 金沙江は、横断山脈をアジアの大河と並行して流れ、チベット自治区と四川省の境界に大峡谷を刻み込んで南下、雲南省の石鼓付近で大回転して北東に転じる。100度以上折れ曲がって北東に流れる湾曲部は、「長江第一湾」と呼ばれている。さらに金沙江は、屈曲を繰り返しながら、絶壁の間を縫うようにして流れ、「虎跳峡」を穿つ。虎跳峡は、玉竜雪山と哈巴(はぱ)雪山に挟まれた長さ16㎞の峡谷だ。幅の狭いところはわずか30m,峡谷の入り口と出口の落差は190m、猛虎がここで金沙江を飛び越えたという伝説がある。そして、四川省に入ってすぐの地点、渡口において、これまで兄弟のようにして南流してきたガロウ江をあわせ、流路を北東に向けて流れはじめる。
横断山脈とは一体どのような大地の成り立ちに基づいているのか。アルタイ、天山、崑崙、ヒマラヤといったアジアの大山脈、あるいはジュンガル盆地、タリム盆地などの形成を、プレートテクトニクスの観点から、南から北への地塊群の流れとして理解したとしても、横断山脈のような南北方向への山脈の形成については、少しばかり立ち入ってみる必要がある。いくつかの考え方をあげておきたい。数年前、麗江を旅したときに、メモしておいたことでもある。麗江は、金沙江が大回流を遂げる石鼓の対岸に位置している。

(5)チベットと横断山脈、類例のない地形 
玉竜雪山が、ナシ族の神の山として、麗江と分かちがたく結びついているのと同様、長江を抜きにしては、おそらく麗江を語ることは出来ないだろう。麗江の名称は、長江の上流金沙江を麗水と呼んでいたことに由来する。ナシ族の首長「木さん」の話は、金沙江が天然の要害をなしていることと裏腹になっている。金沙江は麗江の石鼓鎮までは南に向かって流れているが、そこからは大きく折れ曲がって、東北方面に向かう。長江第一湾は、麗江のものでもある。横断山脈の山あいを縫って流れる金沙江、玉竜雪山と哈巴(はぱ)雪山の間にある虎跳峡についても同様だ。
 地勢上から見て、長江の雲南、四川を北東流するあたりは極めて不自然だ。特に金沙江などは北の方から下りてきて百度以上も折れ曲がっている。
 「世界最高最大のチベット・青海高原は、高さが海抜5000m、地殻の厚さが7000~5000mある。ここを水源地として、黄河と揚子江は東に流れて黄海と東中国海(東シナ海)に注ぎ、瀾滄江と怒江は南に流れて、メコン川とサルウィン川となり、南中国海(南シナ海)とインド洋に注ぐ。揚子江、メコン川、サルウィン川の3大河の上流が、雲南省西部で、互いに40~50kmの距離まで接近し、地図上ですれすれに平行して南流する『横断山脈』付近の地形は注目すべきである。チベットと横断山脈のような地形は地球上で他に例がない」(世界の地質、前出)。
 加えていえば、 現在の東アジアの大河の水源の多くは、ヒマラヤ山脈の北側にある。カイラス山の麓からは、インダス川、チェブナ川、サトレジ川、ヤルツァンボ(ヤルンズアンボ)川(ブラマプトラ川)が、ヒマラヤ山脈とトランスヒマラヤ山脈間に、5000~6000mの構造谷を刻みながら、アラビア海ないしベンガル湾に注いでいる。
 これらの大河は、長江、黄河、珠江などとともに、かつてはローラシア大陸(アジア大陸)の南に広がる、テチス海に注いでいたのだろう。

(6)横断山脈とは何、雲南は生きている

 横断山脈とは、四川・雲南の西部とチベット東部にかけて,南北に連なる一連の山脈である。高い山岳とその間を流れる深い峡谷が,東西の交通を妨げていることから横断山脈と名づけられた。この山脈には、東側を並行して走っている大雪山脈も含まれる。横断山脈全体の最高峰は大雪山系のミニヤ・コンカ(7556m)、雲南の最高峰はカイラスと同様,ラマ教徒の聖地である梅里雪山(6740m)、次いで高い山岳がわれわれの訪れた玉竜雪山(5596m)である。
 「横断山脈のような地形は地球上で他に例がない」という意味は、ここでは横断山脈が、南北に連なっていること、そして怒江,瀾滄江,金沙江、ガロウ江など世界の大河が、高度差1000~3000mの世界有数の深い峡谷を形作って流れているというように理解しておく。金沙江は何度かふれたように、崑崙山脈の支脈に発し,チベットと四川省の境、すなわち横断山脈を南下しながら雲南に入り,東転して四川省を流れ,宜賓で岷江(びんこう)と合流して長江となる。 
 アジア大陸の地図に目を落としてみると、アルタイ山脈、天山山脈、秦嶺山脈、ヒマラヤ山脈など、大山脈はことごとく東西に延びている。
 このことの説明としては、先に見たとおり、ゴンドワナ大陸から北上してきた地塊群が、北半球にあった地塊群にぶつかり、地塊と地塊の境界に山脈を作りながら、アジア大陸を形成してきたという事情がひとつ。 新生代に入って4000万年前、インド亜大陸がアジア大陸に衝突し、アジア大陸の下にもぐり込み、プレート境界の南側にはヒマラヤ山脈を隆起させ、北側では、白亜紀末には浅海であったチベットを隆起させ、さらに天山をはじめとする東西に延びる山脈を隆起させたという事情がひとつである。
 それならば何故に横断山脈は南北に連なっているのか。加えて、「通天河が金沙江と名前を変えて麗江で第一湾をつくって流路を東に変え、メコン川の上流である瀾滄江、サルウィン河の上流である怒江が、轡(くつわ)を並べるようにして南に流れ下っている。これら四つの大河の上流、昆明湖を中心とする断層湖沼群、そしてソンコイ河は南北の線で結ばれている。昆明、あるいは雲南は、この長大かつ構造的な南北の線上に位置している」ということの説明が課題となる。


(7)インド亜大陸とバイカル地溝帯

 ゴンドワナ大陸から流れてきた地塊群は、赤道を越えて、北半球にあった地塊群と次々に衝突・合体し、地塊と地塊の間、いわば古いプレート境界に東西に延びる山脈を形成しながら、アジア大陸を作り上げた。新生代に入って4000万年前、北上を続けてきたインド亜大陸は5000キロの旅を終えて、ユーラシア大陸に衝突・合体した。プレート境界(縫合線)の南にはヒマラヤ山脈が形成された。北側では、大陸地殻が異常に厚くなり、隆起してチベット高原となった。チベット高原は、白亜紀後期には浅海であった。さらにその北方にある、すでに形成されていたアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈、秦嶺山脈などは、ほぼ東西に走る横ずれ断層を伴いながら隆起した。インド亜大陸の押し上げは、現在も続いており、南北方向への圧縮を起点としながら、横ずれ断層によって東西方向に力を伸ばし、さらに南中国、インドシナ半島を東南に押し出す方向に作用している。
 インド亜大陸の押し上げとかかわって、アジア大陸の地殻運動に関与している力は、「北西ー南東」の方向を持つ張力地帯、典型的には地溝帯である。とくに、バイカル地溝帯は、3000万年にわたって活動を続けている。新生代に入って活動は活発化し、断層、地震、火成活動が続いている。北西ー南東の張力地帯であることと、震央の分布密度が大きいこと、マントルの上昇流も観測されていることから、アフリカの大地溝帯との類似性が指摘されている。
 アジア大陸の地溝帯は、一番北にあるバイカル地溝帯のほか、中国東北地区に地溝帯群があり、華北にも山西地溝帯と呼ばれる地溝帯群がある。さらに、雲南、インドネシア半島にも、北西ー南東方向を持つ張力地帯(地溝帯)が存在している。そしてもうひとつの、張力地帯は、日本海をふくめて、沖縄トラフ、南中国海など、いわばアジア大陸の東縁にあるといわれる。
 総じて云えば、アジア大陸には、南から北に押し上げる圧縮力が働いており、この圧縮力が横ずれ断層を生起させ、中国の華北、華中、華南、インドシナ半島を東南方向に押しやる力にも転化している。あわせて、アジア大陸には、地殻を北西方向と東南方向に拡大する力、すなわちバイカル、山西をはじめとする張力地帯、地構帯が存在しており、この地構帯にはマグマの活動、あるいはユーラシアプレートにかかる沈み込み帯の活動が関与しているように思われる。
 さらに、ソンコイ河の上流に続く、昆明湖を中心とした断層湖、珠江の上流南盤江など雲南の地形がある。
 雲南の地は、インド亜大陸の押し上げが、南中国、インドシナ半島を南東の方向に押し出している地帯に当たっている。横断山脈からソンコイ川断層にそって、ベトナムのトンキン湾に続く地帯は地震の巣でもある。1996年には麗江で震度7、1995年7月には南西部の孟連県で震度7.3、10月には武定県で震度6.5、1988年1月寧莨県で5.6、11月には瀾滄県で震度7.6の地震が起こっている。このことは、アフリカ地溝帯あるいはバイカル地溝帯に見られるような「ホットリージョン」(熱い地帯)、マグマの上昇流域が、雲南からインドネシア海域にかけて存在していることを予測させる。またこの地域は、オーストラリア・インドプレートとユーラシアプレートの境界の近くに位置する。雲南は、いまなお動く大地、アジアの地殻運動の結節点のひとつにあるといってもいいように思う。